画像は某所に投下したもの。
ローカルで描こうと思ったのですが、折角なので。
「絵を描いて元気付けよう」行動に対する主張・口論をそこらじゅうで見かけてむずむずしていたのですが、そのむずむずの正体が判明したので書いときます。飽くまで一意見です。
「主張UZEEEEEEE!!」という方は最後の一行だけでいいです。他は読み飛ばしてください。
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自分はどうやら当初より「応援絵・笑顔アイコンは何も出来ないという「自分」への恐怖を和らげる為、という意図が大きい。それによって元気づけられる・楽しめる他者が(物理的・精神的被害者に関係なく)一人でもいるのなら、それは良いこと」って認識だったみたいです。「自分の」言動に関しては。
だからどちらにも賛同出来るのと同時に、どちらにも完全には賛同できなかった。アイコンを変えた時点で言語化こそ出来なかったものの、自身がそういう意図を持っていたことは自覚していたので。
非難されている「物資の個人輸送」「独断でのボランティア入り」「折り鶴」に関しては、それぞれ「仕分けに苦労する」「結果的には負担の増加」「輸送の圧迫」という明確な理由が見あたります。
絵の是非に関しての殆どが「感情」という答えのないものを理由としているせいで、意見の食い違いが生じている気がします。だから、自分のスタンスで見ていると、正直不毛に感じてしまう。
諸々の食い違いで結構きつい論争(ものによっては罵りレベルでまで)を友人同士から不特定同士まで沢山見かけて、個人的感情で申し訳ないのですが、正直心が痛いです。こんな善意のぶつかり合いで精神擦り減らすとか、とても勿体ない事だと思いながらも。
やっとこさ情報過多による精神不安定状態から抜け出せたというのに…なんてこった…! みたいな心境です。
被災者さん同士でさえ意見が分かれてるのに、答えが出る訳…ないじゃないか…! 「こうすれば喜ばれる」「こうすれば傷つく」で揉めるんだったら、おまいらの論争で傷付いてる奴だっているんだよ…!(これは流石に極論ですけど)
…まあ、言いたいことを一言で言うと、「みんな喧嘩すんなよ」。
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それと、追記に「スラックティビズム」という言葉について少し個人的意見を書いておきます。あんまり関係が無くなってしまったのと、主張色が上記よりも強いので、隔離の意味を込めて。
最近一部で流行りつつある「スラックティビズム」という言葉も、あまり好きではないです。
「何もしないのは悪」みたいな風潮が大分薄まってきたもののまだ多少あるので、少なくともそういったものからくる「自身の」罪悪感を和らげる効果はあると思います。罪悪感も立派な精神的被害だと思うので。
行動に対して、対象となる方の賛成意見も見かけますので、効果が全く無いという訳でも無いと思います。(表向きの)対象者置いてきぼり意見もありますし、それについては自分は何も言えないのですが…結局こちらも答えの出ないものだと思います。
募金するにも「諭吉さん○枚寄付した!」みたいな主張を沢山見かけて、大人の鶴さん達を入れるにも躊躇してしまう自分は、なんだか自分が冷酷な気がしてそれだけで罪悪感一杯です(躊躇しない程度の額は募金していってます)。引っ越し・進学間近で今もの凄い勢いで金が飛んで行っているのもあるのですが…。
「善意は強制するものではない」という言葉もちらほら見かけましたが、現状遠回しに強制するような風潮ではある気がします。(上記の寄付宣言も含めて、これらに関してはむしろ賛成派ではあるものの)。
…というか、wikipediaでの定義だと「1円、10円だけ募金箱に入れる」のも微妙にスラック何とかに含まれてしまいそうな印象を受けたんですけど、その辺どうなんでしょうか…。違うだろうとは思いつつも。
そもそも「自己の云々」を差し引いてもスラック何とか全てが悪いことだとは思えないんですよね…。挙げられている事柄は、直接的には無意味かも知れないけれど、巡り巡ってどこかでプラスになる気がする。RT然り、リストバンド然り。
読み返してみると、本文含めて偽善・自分酔い臭がプンプンしますが、これが自分の本音です。
そして「どっちも無理矢理押しつけるのは止めようぜ」的意見なのに、結局自分が一番押しつけてるよなあと後から気付いて憂鬱モード入ります。