◆ アウトサイダー - 上 




 夕暮れに染まるカニングの広場に、歌声が響いた。男性とか、女性とか、そういうものを超越した歌声を発していた者もまた、中性的且つ美形の者であった。右目を覆い隠した髪もまた淡い朱で、時折吹く風で柔らかく揺れる。黒いコートを着た彼の周りにはまばらながらも人間が集まり、その甘い歌声に耳を傾けていた。
 その人混みの背後を、猪に乗った隻眼の、少年らしき若者が通りがかった。黒い上着に白いシャツ、黒い腰巻きとこの島ではあまり見かけない格好であり、その腰に下げられた武具もまた、二本の刃がついた篭手に似て非なる物であった。
 若者は二度程猪の背に触れ、その足を止めさせた。そして、周りよりも若干高い視点から、吟遊詩人をその黒い右瞳で見つめる。しかしそれもつかの間、彼は一瞬眉をひそめ小首を傾げ、「気のせいか」と小さく呟いた。その声質は分別が付きづらいものの、僅かに女性のそれに近く、少年らしき若者は少年ではなく少女である事を辛うじて示していた。
 そして立ち去った異文化装の若者を、吟遊詩人もまた、その黒い左瞳で捉えていた。



×  ×  ×



「珍しい服ですね」
 そう言って異文化装の彼――レンの隣に座ったのは、先ほどの吟遊詩人であった。異文化服の彼は小さく声を漏らすと、吟遊詩人の方を向いた。二人の視線が一瞬交わる。そして目をそらしたのは、カップを宙に掲げたレンの方であった。
「でしょ? うちの出身地の民族衣装なんですよ」
「あら、そうなんですか?」
 そう問い返して、吟遊詩人は水割りを注文する。
「ええ」
「しかしまぁ、あまりお見かけした事の無い服ですね……どちらの出身で?」
「大陸の方ですよ。この島に来たのは初めてです」
 にやり、と笑ってレンは言った。
「そうですか……私はてっきり――ええっと……」
 吟遊詩人は口元に手を添え、考える素振りを見せる。どことなく気品を感じさせる仕草。吟遊詩人の視線はほんの少しだけ宙を彷徨った後、そうそう、とレンの瞳――正確には、右目と左目の位置にある髑髏を見据えた。吟遊詩人は小さく笑い、そして小さく言った。
「――海賊、かと」
「え?」
 一瞬で、レンの顔から笑顔が消える。黒い頭巾に巻かれた鎖が、僅かに揺れた。
 今度はレンの視線が宙を彷徨って、ああもう、と彼は目にかかった髪をかき上げ、そのまま左手で頬杖をついて言った。
「よく知ってますね」
「こう見えましても結構旅を続けておりますから」
「そういうあなたは何者なんです?」
「私ですか?ただの歌好きなプリーストですよ」
 そう答えた吟遊詩人に、人差し指一本向けて彼は言った。
「その割には随分と、鼻が利くようですが」
「……鎌をかけようとしましたね?」
 同じように人差し指を向けて、吟遊詩人は言った。レンから思わず苦笑いが零れる。くすくすと笑って、吟遊詩人は言った。
「いいでしょう。確かに私は普通のプリーストではありません」
「やっぱりね」
 カウンターの方を向き直し、彼は言った。
「多分ですけど、あなたの歌う歌には魔力が乗っかってるでしょ?」
「気付かれていましたか」
 吟遊詩人もまた正面に向き直し、出された水割りを少しだけ口に含んだ。
「魔法使いの方には時々気付かれる事もあるのですが……いやはや、流石「気」を扱う職なだけの事は」
「根本は似たようなものみたいですからね」
 最も、流石に「魔法」は使えませんが――とレンは付け加えて言った。
「……で」
 声を潜めて、彼は言った。
「その魔力に若干、「悪」の力が混じってる気がしたんですよ。氷雷の力では無く、火毒の力でも無い――夕方聞いた時には勘違いかと思ったんですけど、今会って、確信……という訳ではないのですがもしかしたらと」
「……つまり?」
 右に座る吟遊詩人に再び顔を向け、レンは言った。
「あなた、もしかして普通の人間族じゃないんじゃないですか?」
 ずっと笑顔が貼り付けられていた吟遊詩人の顔から、初めてそれが剥がれ落ちた。ただ、それによって姿を現したのは、レンの時の様なばつの悪い顔ではなく、ただ呆然としただけの顔であった。そして、彼はまた笑った。
「度胸があるのですね」
「そりゃあ、あんな答え合わしをされちゃ、遠慮する気なんて起きませんよ」
「成る程……」
 組んだ両手の上に顎を乗せ、吟遊詩人は黙り込んだ。その視線の先にあるのは、半分程減った水割りのグラス。
「……そうですねぇ」
 伏せ目がちに、けれど口元には笑みを添えて、吟遊詩人はグラスを見つめたまま小さく言った。
「付け加えるのであれば、私は人間族ですら無く、かといって妖精族でもありませんね」
「ですか」
 そう一言だけ言って、レンは机に突っ伏した。その視線の先にあるのは、もう空になった白いコーヒーカップ。溜息と共に吐き出した言葉は、何処か疲れたような色を帯びていた。
「……釣れた魚が大きすぎなんですけど」
「一体私を何だと思ったのです?」
 レンの纏った黒いマントが、僅かばかり揺れる。
「普通の人間では無いだろうとは思ってましたけど、でもあくまで人間だろうと」
「と、いいますと?」
「ど――いや……」
 言いかけた言葉を飲み込んで、彼は首を振る。そして、吟遊詩人の方に顔だけを向けて、言った。
「まぁ、とにかく普通の人間では無いだろうなぁ、と」
「ふむ……」
 グラスにまた口をつけて、吟遊詩人は言った。
「――そう言えば、最近この近辺で白虎が出没しているという話を御存知ですか?」
「いや、初耳ですね」
「主人を失った生人形という話もあれば、本物の獣、若しくは召喚獣ではという憶測も飛び交ってまして」
「へぇ。でも、どれもこれもあまり聞かない話ですよね」
「ですねぇ」
「生人形って可能性はありそうですけど、本物とか召喚獣とかってのは……」
「いや、前者も目撃情報から考えると、結構厳しいんですよね。最近と言いましても、一番古い目撃情報は数ヶ月前ですから」
 生命の水は一ヶ月程で力を失う。生命の水はエリニアの奥地でのみ採取する事の出来る水であり、自力摂取とは考え辛い。
「とりあえず……この噂、興味をそそられません?」
「確かに気にはなりますね」
「でしたら――」
 吟遊詩人は、レンの方を見つめた。つい、彼もまた吟遊詩人の方を向く。
 レンの目を見据えて、吟遊詩人は言った。
「もし宜しければ、一緒にその「白虎」を探してみませんか?」
「え?」
「勿論、無理にとは言いませんが。……と言いますより」
 恥ずかしそうに、吟遊詩人は笑う。
「海賊についてのお話が聞きたいんですよね、本当のところは」
「……あぁ、確かに海賊ってあまり表には出てきませんからね」
 ただし、とレンは付け加える。そして、彼もまた恥ずかしそうに言った。
「今度、一食奢って頂けません? 割と旅費がピンチなもんで」
「あぁ……構いませんよ」
「やった!」
 ぐっとガッツポーズを取るレン。動機故か、その動作は何処か幼げで、けれどすぐそれに気付いたのか、彼はその拳をすぐに解いた。
 そんなレンに笑みを投げかけながら、吟遊詩人は言った。
「先ほど収入もありましたしね。一食と言わず、何食でも」
「そう言われちゃ、つい欲が出るじゃないですか……」
「まぁ、流石にこちらの資金が危なくなってきましたら、ちゃんとお断りしますからご心配無く」
 そう言って吟遊詩人は、残った水割りをゆっくりと飲み干した。



×  ×  ×



 先ほどの話の続きですけどね――と、猪に乗ったレンは言って、その黒いマントを捲り上げた。
「……あら」
 その背に「生えていた」のは、開いた片手程の蝙蝠のような翼が一対。その小ささ故にマントを纏えば全く違和感無く隠れてしまう。だが、幾ら隠す事が出来ようと、それは彼が「普通の人間」では無いことの何よりの証。
「同類、と言いかけたのですね、先ほどは」
「ええ。流石に酒屋で言うのは憚られたもので」
 両手で猪の鞘を掴み直し、レンは言う。大きく揺れていた彼の体は、三点に支えられ再び安定した。
 人間族は、「同一」である事を良とする傾向にある――だから、「黒い翼」を持つ者を「イレギュラー」として蔑む。時代、地方によりその度合いは違えど、今尚蔑む対象である事は変わらない。だから――だからこそ彼は、「イレギュラー」の彼に、その秘密を明かした。
「黒い翼……様々な要因で、人間族にも生えるとお聞きしましたね。ええっと、負の魔力の抗体として生えるのが一番多い例でしたでしょうか」
「らしいですね、自分も一応それらしいです。まぁ、物心ついた頃には生えてましたけど」
 つまり、とレンは言葉を続けた。
「「気」の術だけでじゃないんですよね、あなたが普通じゃないって思ったのは」
「ほう」
「何となく、似たようなにおいを感じたというか」
「私は其処まで気付きませんでしたねぇ。何と言いますか、一本取られた気分です」
 翼を隠すマントを見て、吟遊詩人はそう言った。
「「気」と混合したんじゃないですかね? 確か実際に海賊を見たのは初めて、って言ってましたよね」
「ですねぇ。似たような、翼の生えた方自体は、何度かお会いした事があるのですが」
「自分は……まだ会った事が無いんですよね」
 不安そうに、レンは呟く。
「世間で珍しがられる程少ないわけではない、とは聞くんですけど……時々、不安になります」
「貴方はまだお若いですから。旅を続けていけば、きっと何人もの方とお会いすると思いますよ」
「ですか、ね」
 安心したように、レンは小さく笑った。
 彼が幾年旅を続けてきたか、それは定かでは無い。が、十代という年代では、世界そのものは勿論、「広い世界」を把握するにはあまりにも若い。
「……聞かないんですね」
「ん?」
 不意に、吟遊詩人は問うた。
「何をです?」
「ほら、私の性別の事ですよ」
 ああ――とレンは答える。心なし、声のトーンが若干落ちた。
「聞いた方がよかったですか?」
「いえ、そういう訳ではなく……単純に、貴方の様な年頃の方だと、問いかけてこられる方が殆どですから」
 その理由を聞き、レンもまた溜息混じりに問うた。
「一体自分は幾つに見えるんですか……」
「うーん、十三、四辺りでしょうか」
「実年齢相応かぁ、この容姿……一応、十四であってますよ」
 そう言えば、とレンは続ける。
「性別を問う以前に、まだ名前すら聞いてません」
「あら、言われてみれば」
 思い出したように吟遊詩人は左髪を掻き上げ、少々恥ずかしげに言った。
「順序がおかしくなってしまいましたが、改めまして……ミデンと申します」
「自分もまだでしたね。レンと呼んで下さい」
 今更と言っても過言ではない、互いの自己紹介。だが、この二人にとって、名前など大した問題では無かったのだろう。
「余談ですが、「ミデン」とは古い言葉で「ゼロ」を示すそうですよ」
「ゼロ……」
「ええ――終わりと始まりを示す数字。同時に、「虚空」を示す数字。何処まで意図して名付けられたのか、「名付けられた側」の私には知る由もございませんが」
 何処か遠くを見つめて、吟遊詩人ミデンは言った。
「通称、では無いんですか?」
 冒険者は本名を名乗るよりも、仮の名を名乗る場合が殆どである。だから、ついレンの口からは疑問がこぼれ落ちた。あ……と口を紡ぐも既に疑問は発せられた後で、つい彼はミデンから顔を逸らした。
 そんな彼に、ミデンは相変わらず笑いながら、言った。
「ええ。家名を持ってはおりませんが、一応これが「本名」です」
「ですか……」
 ――付け加えるのであれば、私は人間族ですら無く、かといって妖精族でもありませんね。
「……自分が性別について触れなかったのはですね」
 鞘に顔を埋め、小さくレンは言う。
「自分が触れる事で、相手にもこの不完全さに触れられるからですよ」
「不完全……」
「煩わしいんですよ、男性とか、女性とか。」
 ――自分は、二分される事を求めてはいないのに。そう、「彼」は言った。
「……この話題を出した無礼を、お詫び致します」
 レンから目を逸らし、ミデンは俯く。そんな彼に、慌てた様子でレンは言った。
「い、いやいや、気にしないで下さい! 自分が勝手に話した事ですから」
 あ、とレンは声を漏らして。
「……じゃあ、無礼に無礼を返す形で、聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょう?」
 仰々しく深呼吸し、眼を閉じ小さく頷く。そして、レンは問うた。
「あなたの性別は、「何」なんですか?」
 その声は心なし、震えていた。
「あなたの名の意味をこの状況で言ったという事は、あなたは二分されるどちらの性でも無いんでしょう?」
「……なかなか勘が宜しいですね」
 その笑顔はどことなく楽しそうで。だが、「そうですね」と立ち止まったミデンの顔は、真剣そのものであった。
「貴方の言う通り、私の性は……「無性」です」



×  ×  ×



「私の出身は、ミナル森と呼ばれる森の奥地です」
 ミデンは金色の竪琴を撫でながら、何処か懐かしげに語りだした。
「ええっと……大陸の方でしたっけ」
「ええ。今はオルビスからも定期便が出ています」
「ああ……確かにステーションで看板を見かけたような……」
 猪にもたれ掛かり火に当たるレンの顔も、また赤い。小さな焚き火は、星々輝く黒い夜空へと白い煙を送り出してゆく。それを笑顔で見つめながら、ミデンは話を続けた。
「ミナル森の住民に関しては御存知ですか?」
「ええっと、確か……半獣、でしたっけ」
「その通りです。……しかし、私の生まれ故郷には彼らは住んでおらず、ドラゴン、俗に言う――モンスターが生息しております」
 つまり、とミデンは言って。
「――私の「ベース」は、ドラゴン族です」
「ベース……?」
「……他の生物に変化出来る種族なんて、少なくともミナル森には居ませんから」
「……」
 レンは何も言わなかった。言葉が零れる隙が出来ない程に、ミデンの表情――過去を憂いる顔が重すぎたから。
 だが、其処にあるのは弱々しい者の顔ではなく、ただ何かを悟る域まで達した老人のような顔であり……ミデンは更に告白を続けた。
「禁術によるものなのですよ、この姿」
「禁術……チートですか」
「ええ。……「あの場所」にいた成功例は私だけでした。沢山の同胞の居た「あの場所」ですら、私は「イレギュラー」でした」
 「二分される世界」での疎外感を感じる「彼」と、たった一人「あの場所」で特別扱いされた「彼」――。
「勿論、成功例と言いましても副作用はございます。その一つが――」
 ――「性」。
 ミデンの告白とレンの呟きが、重なった。
「自らの生い立ちや魔力のベクトルなど、その気になれば何とでも誤魔化せるでしょう。でも性別だけは違います。仮に生い立ちという物が無くとも、やはり私は人間族の中でさえも「イレギュラー」でした」
 初対面の者が聞くには、あまりにも重すぎる告白。だが、ミデンはあえてそれを口にした。
「イレギュラー、か……」
「どうです、親近感を持って頂けましたでしょうか?」
 俯くレンと、微笑むミデン。
 非公認の職で、性別嫌悪を持ち、差別の対象となる翼を持った「彼」は、苦々しく笑って言った。
「親近感というか……悪い言い方をすると、安心、したかな。ああこの人になら自分の事を話しても大丈夫だって」
 人類ですらなく、どちらの性にも属しておらず、禁忌の術の被験者である「彼」は、相づちを打ってこう言った。
「人類主体のこの世界は、同一である事を美とする傾向にありますからね。そうやって自らの感情を発散できずに溜め込んでいくと、どんどん辛くなりますから……私にも経験がございます」
 最も、とミデンは付け加えて。
「それは、自らをイレギュラーであると肯定する事にも繋がりかねませんが」
「……いいんです」
 落ちていた小枝を炎へと投げ入れて、レンは言った。
「海賊でなくたって、性別に関するアイデンティティが確立されていたって、翼が無くたって――どれか一つがあるだけで、自分はイレギュラー……異質なんですから」
「……成る程……。では――」
 そう言いかけた刹那、僅かながらも異質な物音が、何処か遠くからミデンの言葉を遮った。
 真剣な面もちで二人は目配せする。レンは側に置いた武具を手にはめ立ち上がり、構えた右腕から蒼い輝きを放ち始める。ミデンは竪琴を左に抱えながら、右手で内ポケットから小さな杖を取り出した。
 物音は僅かずつ、だが確かに大きくなり、それに従い何者かの気配も感じ取れるようになる。その方向を見つめる二人は、どちらも言葉を発しない。その茂みと彼らの距離は、ほんの数メートル。レンは完全に臨戦態勢に入り、ミデンもまた樹にもたれ掛かったままではあるものの、しっかりと其処を見据えていた。
 やがて、茂みの大きく揺れる音と共に飛び出してきたのは――。
「……あ」
 ――巷で噂の、小さな白い虎であった。



×  ×  ×



 噂の白虎は二人の間を駆け抜けた。が、その後を蒼い光が追いかける。
 閃光の正体は、飛びかかるレンの右腕から放たれた光であった。マスターシーフのスキル、アサルターにも引けを取らないその早さを目の当たりにし、流石のミデンも目を見開く。彼が振り返った時には既に、白虎の体はレンの両手に捕らえられていた。
 前に倒れ込む形のまま、レンは言った。
「とりあえずっ……捕まえてみました……」
「海賊の、攻撃スキルですか……」
 もがく白虎を捕まえたまま、レンはミデンの方を向いて座り込む。
 白虎の体から感じ取れるのは暖かな体温と鼓動、そして獣臭さ。それはその白虎が、生人形のような造り物ではなく、本物の獣である事を示していた。
「ええ、この技不便で、一度溜めたら何処かに発散しなくちゃ駄目なんですよ。……あ、でも移動手段として使っただけで、攻撃自体はしてませんよ!」
 慌てて補足する彼を、ミデンは見てはいなかった。
「それにしても――。……どうかしました?」
 ただ杖を仕舞い、何も言わず竪琴を構え――。
「――我が体内に潜むマナよ、聖の力となりて此の空間を守り給え」
 弦の上を一瞬指が舞い、その空気の揺れはミデンの体に秘められた「負」の魔力に働きかける。そして現れたのは……白と赤紫の入り乱れた巨大なバリアであった。
「な……」
 今度はレンと、そして先程まで暴れていた白虎が目を見開く番であった。ミデンは何も言わず、今なお白虎が来た方向を見つめていた。
 ――ガガガガンッ。
 異質な物音が其処に響き渡った。と同時に、何かがバリアの手前へと落ちる。それは、八つの刃のついた手裏剣であった。
「……どちら様でしょうか」
 いつになく真剣な面もちで、ミデンはその闇を見つめ、問うた。
 闇から聞こえてくるのは、足跡と茂みの揺れる音。だがそれも確実に大きくなり、やがて音の主は姿を現した。
「……獲物を横取りとは、いい度胸ね」
 それは、大きな茶色いキャスケットを被った、レンと同じ位の年頃と思われる一人の娘であった。黒シャツに白ネクタイ、赤いミニスカートと戦闘には不向きな格好と思われるものの、スマートな篭手をはめた右手には、まだいくつかの手裏剣が握られている。
「は……?」
 ただ何も言えずに娘を見ている一人と一匹とは対照的に、ミデンはその表情を少し――本当に少しだけ緩めて言った。
「成る程、白虎さん狙いの賞金稼ぎさんでしたか」
「ど、どういう事ですっ?」
 今一状況を飲み込めていないレンに答えたのは、娘であった。
「あんた何も知らないの?」
「わ、悪かったですねっ」
「白虎ってレアだから高く売れるし、金持ちも欲しがるのよ」
 びくりと、白虎の体が震えた。
「まぁ……私達は金銭目当てで白虎さんを探しに来た訳じゃないですからねぇ」
「じゃあいいじゃない、あたしによこしなさいよ」
 バリアの外でそういう娘に、ミデンは言った。
「……しかし、どうやら貴方はまだ純粋過ぎると見受けられます」
「何が言いたいの?」
「貴方の考え――つまり、白虎さんを単なる物であるとしても、この場合白虎さんの所有権は私たちにございます。だって、まだ「貴方のモノ」という訳でもございませんから」 娘は一瞬黙り込む。が、苛々と左拳を握りしめて、彼女は言った。
「ああもうっ、大体何のスキルよこのバリア! チートか何かじゃないわよね!」
 今度は、ミデンがむっとした表情になる番であった。
「失礼ですね、ブレスとマジックガードの混合技でございますが」
「でも、こんな広範囲にバリアを張れるなんて、聞いたこと無いわよ!」
 冷静を装いながら返すミデンと、苛立ちを露わにして騒ぎ立てる娘。それを見つめながら、レンは一つの疑問を抱いた。
「――が、来ない……。……あの、キャスケット……?」
 ただ、彼は独り言を呟く。
「……だよな、うん、いいよね、別に」
 やがてレンは、その腕の中で事態を見つめている白虎に話しかけた。
「白虎さんごめんね、自分たちは興味本位であなたに会いに来ただけで、悪いことをするつもりなんて無いから……だから、ちょっと待っててね」
 そう言って、彼は白虎を下ろし立ち上がった。そして武具を外し地に落とすと、スタンディングスタートの構えを取り、一気に駆け出す。それはヘイストをかけた盗賊並の早さで、二人が気付いた頃には既に、レンはバリアから右手を出していた。
 きゃっ、と小さな悲鳴と共に暴かれたのは、キャスケットに隠されていた青く美しい髪であった。髪と、そしてカチューシャに触れ、娘は言葉も無くレンを睨み付ける。一方のレンは、ミデンの隣へと駆け寄って、そして言った。
「成る程ねぇ……」
 彼女の被っていたキャスケットは、あまりにも大きすぎた。そして、気付いている筈なのに来ない、翼への言葉。
「人間族に青髪とはまた珍しいですねぇ」
 珍しい服ですね、とレンに言ったのと同じ調子で、ミデンもまた言う。そこに嘲笑の色は全く無いのだが、娘は怒りを露わに言った。
「わ、悪かったわね!」
「いや、悪いとは言っておりませんが……」
「大体、そっちの子だって「翼」が生えてるじゃない!」
「……ああ、やっぱり」
 自らの劣等コンプレックスを指摘されたにも関わらず、レンもまた冷静に言った。
「な、何よ」
「おかしいと思ったんですよ。気付いてなきゃおかしいのに翼への突っ込みが来ない。別に指摘されたい訳じゃないけども、あなた程威勢がいいのに来ないのは逆におかしいなって。……だから、もしかしたらあなたにも触れられたくない点があるんじゃないかなと」
 ああそれと、と彼は言って。
「あなたは酷いというかもしれないけど、先に手裏剣投げて来たのはそっちですから」
 娘は口を開きかけ、だが再び黙り込んだ。そして、若干トーンを落として言う。
「そ、そうよ。あんたも解るんじゃないの? 人間の集まりがどれほど「異分子」を蔑むかは」
 ――不本意に異分子で居続けた者に対し、「同類」というものは、あまりに甘い香りを放つ。まるで、禁断の果実のような。
「だねぇ、流石に小説みたいに石は投げられたりしないけど、それでも罵倒浴びる事はありますね。……別に、持ちたくて翼を持った訳では無いのに」
 その言葉を聞き、娘の表情から怒りの色がすっと消える。
 そんな中、娘には気付かれない様、ちょいちょいとミデンは左手でレンに合図を送る。その手の動きを見て何かを察したのか、レンは再び白虎の方へと戻っていった。
 白虎は、逃げることも無くただ彼らを見つめていて、レンが再び抱きあげようとしても抵抗一つしなかった。
 その様子を確認しつつ、ミデンは先ほどまでとは一転し、優しい口調――いつも通りの口調で言った。
「ああ、そうそう。全く関係無い事なのですが……先ほど私、「貴方は純粋すぎる」と言いましたよね」
 その言葉で、娘はミデンの顔を見つめる。
 一呼吸置いて、彼は言った。
「……このバリア、手裏剣程度でしたら跳ね返す事が出来るのですが、人の行き来はほぼ自在なのですよ」
 え、という呟きが、娘の口からこぼれ落ちた。



×  ×  ×



 焚き火を囲い座り込む事に、意外にも娘は素直に応じた。
 白虎もまた大人しく、レンの腕の中に収まっている。
「申し遅れましたが、私、吟遊詩人のミデンと申します」
「レンです。この猪と旅を続けてます」
 そう自己紹介をする二人に、娘もまた名を名乗った。
「……ミリア、よ」
「あら、これはまた可愛らしいお名前で」
 そう言って微笑みかけたミデンに、苦々しい顔でミリアは答えた。
「あたし自身はあまり好きじゃないんだけどね……」
「それは残念」
「ていうかあんた、男なのか女なのかどっちなのよ」
 その言葉はミデンに向けられていて、ほらね、とミデンはレンの方を向いて笑った。
「ご想像にお任せ致します」
「ああそう……」
 問いはしたもののさほど興味は無かったのか、ミリアはそれ以上言及しなかった。
「……で、あなたは何でこの子を捕まえようとしていた訳で?」
 白虎を撫でながら問うレンに、ミリアはむっと答えた。
「言ったじゃない。白虎は珍しいからもし本物の獣なら高く売れるって――」
「本当に、ただ金が欲しかっただけ?」
 レンの問いを聞いたミリアの動きが、一瞬止まった。
「……そうよ! 金持ちが懸賞品出して依頼を出してるのよ。それも製作用の中級クリスタル。解る?」
「そっか……」
 ミリアの補足発言には何も言わず、レンはミリアから視線を外し、意識を白虎へと向けて黙り込む。
 装備製作用のクリスタルは、それを有効利用出来る者自体はあまりいない。だが、加工を出来る者も限られている故、高額で取り引きされている。その価値は、側で聞いていたミデンが「成る程」と呟く程。
 炎の燃える音と野鳥の鳴き声のみが響くその空間に、再び言葉を割り込ませたのも、やはりミデンであった。
「……しかし、まさか本物の獣でしたとは」
「ですよね、自分も捕まえた時にはびっくりしましたよ」
「本物の白虎さんも人語を操ると聞きましたが……如何でしょう」
 白虎の顔をまじまじと見て、ミデンは言う。
 一瞬の沈黙の後。
「……よく知っておるな」
「わ、喋った!」
 そう言ったミリアと、そしてレンが驚きの表情を浮かべた。唯一人、ミデンだけは笑顔を浮かべる。
「まぁ、伊達に旅をしてはおりませんから」
「成る程のう」
 レンと白虎の方へと体を向け、ミデンは問う。
「とりあえず、何とお呼び致しましょうか」
「白虎でよい」
「了解致しました」
 まるで人同士の会話のように話をするミデンと白虎。
 だが、白虎は言った。
「……しかし、お主は恐がりもしなければ驚きもしないのだな」
「全く驚いていない、と言いましたらそれは流石に嘘になりますが……」
「……主を失って幾月か、その間冒険者の前へも幾度か姿を見せはしたが、驚いて逃げてゆくか我を捕まえに武器を取るか、その二択であった……だが、お主はそうでは無いのだな」
 ――寂しかった、とその声と表情は言っていた。
 何処か不安そうな面もちで、レンと、そしてミリアは彼の顔を見つめる。それに気付いているのかいないのか、ミデンは笑ってこう言った。
「ええ。私は是非貴方と普通にお話がしたいと思い、此処へ来たのですから」
 そういうミデンの顔を、白虎は見つめていた。そして――。
「ところでお主、本当に「人」なのか?」
 ミリアは目を見開き、レンは焦りの表情を浮かべる。だが、当事者のミデンは相変わらずの様子で言った。
「あらら、一日に二度も指摘されてしまうとは……マナの制御が上手くいっていないのでしょうか……?」
「やはり、気のせいではなかったか……」
「どどど、どういう事なのよっ!」
 ミデンを指さし、ミリアは問う。
「いやいや、流石にあまり公にはしたくないのですが……どう致しましょうかね……」
 こめかみに指を突きつけ、彼は黙り込んだ。其処にあるのは、ただ唸る声。
 が、その思考は結論に至る前に、再び乱入者の手によって遮られた。



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