◆ 時と心と−中− 




 初めは、身体能力の低下。単なる疲れだろう、と彼は自他を偽った。
 次に、吐血。心配はかけられない、と彼は黙ってその血を拭いた。
 そして、感覚器官の麻痺。もう、彼に嘘をつくことは出来なかった。
 靄のかかったその世界の向こうで、その人はただ彼に泣きついた。
「ごめんね、ごめんね」
 もっと早く気付いていればよかった、と。ただ、椅子に座る彼の膝に頭を押しつけ、彼女は泣き続ける。
 その人のそんな顔を、彼は見たくは無かった。彼女の長い髪を撫で、声を絞り出すように彼は言った。
「結婚、しよう」
 ――嗚呼、思えばこれは、酷く浅はかな考え。まだ先の長いその人を、死にゆく人間に縛り付けるなんて。
 けれど、彼女はそんな愚かな彼に、涙を流しながら笑みを返した。



   ×  ×  ×   



「しかし、またヘネシスなんて……やってられないぞ、全く」
 そう言うや否や、オレンジジュースを一気に飲み干し、酒飲みのするそれのように机にどんと置いた。
「それは確かに言えてるね……」
 クレピスもまた、ため息を吐く。
 そこはそれなりに大きな宿のロビーで、人はまばらに居るか否か。二人は既にガウン姿で、向かい合ったソファに互いに座っていた。
 ちびちびとコーヒー牛乳を飲むクレピスに、レヴェンツは言う。
「しかしお前、風呂上がりにその量を飲むのは流石に太――」
「それは言っちゃ駄目!」
 いつの間にか手元に持っていたゲッタの峰で、思わず立ち上がったクレピスはレヴェンツの頭を殴る。
「ってー!」
 頭を抑えてうずくまる彼を無視して、彼女はため息をつく。そしてソファにどっかりと座ると、小さなウエストバッグを、ただ見つめる。
「……ねぇ」
「何だ?」
 ぼんやりと袋を見つめながら、彼女は言った。
「先輩、今何処に居るんだろう」
 それは、二人の共通の知人尚かつ盗賊の先輩であった。先輩と言っても、年はレヴェンツより一つ上の十九、レベルはレヴェンツとほぼ同じ、むしろ彼よりは若干低い。クレピスの生人形を今持っているのはその人なのであるが、まだ返却できるという連絡は来ない。
「うーん、電源切ってる可能性もかなり高いけど……連絡取ってみるのはどうだ?」
 今なお頭をさすりながら、レヴェンツは助言した。
「そうだね……ダメ元で内緒してみようかな」
 そう言って、彼女はバッグから通信機器を取り出す。そして少し操作をし、少し緊張しながらも大きなボタンを押した。電源を切っているのであれば、ここでそれを意味するアナウンスが入るのだが、今回は入らない。どうやら、運良く電源が入っているようだ。
「先輩、聞こえます?」
 クレピスは呟くように言葉を口にする。
 だが、続くのは無音。
「うーん……」
「繋がらないか?」
 もう、頭はさすっていなかった。
「いや、繋がってはいるんだけどね。でも、先輩出ない」
「うーん、何処かに放置でもしているのか?」
 機器とのにらめっこが続く。だが、やがて諦めるようにクレピスはその親指を通信終了の大きなボタンへと伸ばそうとした。その刹那。
『あーっ、ごめん、間に合ったっ?』
 クレピスよりも幾分幼い女性の声――先輩の声であった。
「先輩?」
『うん、ごめん、忘れたまま外出してたけど……間に合ったみたいでよかった』
「というか電源切ってなかった上に忘れていたとか……まあ、こっちとしては助かりましたけど」
 そう言ったのはレヴェンツ。その声が微かながらも聞こえたのか。
『その声は……レヴェンツ君?』
「あ、はい、そうです」
 クレピスは静かに、通信機器を机の中央へと置く。
『で、やっぱりシオン君の件?』
 シオン、とはクレピスの飼っている茶色い猫型の生人形の名前である。
「ああ、うん、それもあるんだけどそうじゃなくて――」
『酷い飼い主だニャ』
 割って入ったその声は、シオンそのものの声だった。
「あぁ、うん、ごめんごめん」
 そう言って、クレピスはばつが悪そうに笑う。
『まあまあ。で、シオン君の話じゃなければ何の話?』
 それに続くのは大きな欠伸。ふと掛け時計を見れば、まだ夜の十時。夜更かしをするタイプの先輩がそんな時間に欠伸など珍しい。
「とりあえず……先輩今何処に居ます?」
『ヘネシスだよ?』
「「嘘っ」」
 何というご都合主義的展開。二人同時に思わず叫ぶ。ロビー中の人が、一瞬二人の方を見た。
 あっ、と言葉を漏らすと、二人は頭を機器に近づける。顔が熱くなるのが、解った。
「と、取りあえずヘネシスってマジなんすか?俺達、今朝までヘネシスに居たのに全然知らなかった」
『それは仕方ないわ、あたし達は今日ヘネシスに着いたんだもの』
 そう言ったのは、先輩の飼っている黒猫型の生人形、ステラだった。シオンとほぼ同じながらも、声は若干高い。
「成る程な……」
『うん、もっと早く連絡しておけばよかったね……ごめん』
 先輩のその声は、本当に申し訳無さそうで。
「いえいえ、むしろ助かりましたよ。……一つ、お願いがあるんです」
『何?自分に出来る事ならいいけれど』
「ヘネシスの市場近くに、ジェイっていう現地の人が居ると思うんです。その人にちょっと連絡を取りたいんですけど……」
『見つけたら、自分の通信機器貸せばいいのかな?その人に』
「です。忙しいと思うんですけど、お願いできませんか?」
『全然大丈夫、シオン君の件の恩もあるし』
「依頼の方は大丈夫なんすか?」
 レヴェンツが口を挟む。先輩は嬉しそうに答えた。
『明日で終わりだから大丈夫だよ。本当、長いことシオン君借りててごめんね』
「それはいいんですが、シオンは足引っ張りませんでした?」
『また失礼ニャ事を……』
 雑な扱いをされたシオンが、再び口を突っ込む。それを苦笑で流して、先輩は言葉を返した。
『全然。むしろ、凄いいい働きしてくれたよ。シオン君にーってお捻りもらう位』
「成る程、そりゃ羨ましい限りだ」
 レヴェンツの顔が、悔しそうに歪んだ。
「猫にそんな嫉妬してどうするんだか……」
 思わず、クレピスは突っ込む。
 シオンが連れられた理由は、先輩の知り合いの劇団の看板猫が怪我をしたから。先輩の猫は黒猫で、看板猫は茶色の猫。そして、シオンの毛色もまた、茶色だったのだ。
『盗賊の鏡ね、精神は』
 レヴェンツの言葉の色をくみ取ったのか、先輩はそう返した。
「ありがとうございます」
「いや、貶してる訳でも無いと思うけど褒めてる訳でも無いと思うよ」
 高速で、再びクレピスが突っ込む。スピーカーから小さな笑い声が漏れた。
『じゃ、自分はこれで寝させてもらうね』
「早いっすね」
『今日は最終日だったから色々忙しかったのよ、打ち上げもあったし』
「成る程ー」
『そう言うわけで、ちょっと早いけどこれで。また明日、連絡するね』
「お休みっす」
「お休みなさいです」
 ぷつん、という音の後、機器は再び大人しくなった。
「明日はエリニアで待機、か。久々にまともに狩りでもするかな」
「僕はゆっくり休むよ。何しろこの間から移動続きで体が限界……」
 大きな欠伸をしながら、クレピスは立ち上がる。袋の紐を掴んで、宣言した。
「じゃ、僕も先寝させてもらうね。お休み」
「おう、お休み。ゆっくり休めよ」
「そのつもり」
 伸びをして、彼女は奥の部屋へと歩いてゆく。よしっ、と彼も立ち上がると、彼から見て奥の部屋――クレピスとは逆の部屋へと歩いていった。



   ×  ×  ×   



 クレピスの機器が音を立てたのは、その次の日の昼下がり。
 複数ある二段ベットの内の一つ、その下段で横になっていた彼女は、その体制のまま、寝ぼけたような声でそれに応えた。
「ふぁい、先輩?」
『ごめん、寝てた?』
「昼寝してましたぁ」
 そう言って、一つ大きな欠伸をする。
『とりあえず、寝ぼけてそうなところ悪いんだけど、ジェイさんに代わっていいかな』
 苦々しい表情をして、彼女は言う。
「ごめんなさい、今レヴェンツが狩りに行ってるんで、それまで少し待っていただくのと、あいつに連絡して戻ってくるようにってお願いできませんか?」
 あくまで、二人で一人だから。
 スピーカーの向こうで、ざわめきに混じって、僅かに先輩が都合を伺う声が聞こえる。『……大丈夫だって。とりあえずレヴェンツ君に連絡するから、一度切るね』
「了解ですー」
 ぷつん、という音を切っ掛けに、ベッドから降り、伸びをして、荷物を持って女部屋を出る。そして、ロビーの隅の方にあるソファに座り、レヴェンツを待った。
 彼が来たのは、それから数十分後。
「また結構な量を……」
 赤い服のお爺さんの如くその袋を持ち運ぶ彼を見て、呆れたようにクレピスは言った。
「ねばねばした液体は結構需要あるからな。後で雑貨店で引き取ってもらうよ」
 その袋を床につけ、彼もまたクレピスの左へと座った。
「一応俺から連絡するって言ったから」
 そう言って、レヴェンツは通信機器を取り出し、右手で持って操作をする。
「あ、もしもし、先輩?」
 返事が返ってきたのは、すぐだった。
『あ、到着した?』
「一応」
 そう言って、彼は通信機器を持った手を膝に乗せる。
「本当すみません……」
『いいって。とりあえず、ジェイさんに代わるね』
 スピーカーから物音が漏れ、やがて若い男性の声がスピーカーから流れた。
『もしもし』
「ジェイ氏ですか? 本当に貴重なお時間すみません……」
『いえいえ、今日は読書をしていただけですから。それより僕に何か用ですか?』
「あ、はい。ハインズ様からジェイ氏にちょっと聞いて欲しいと言われまして……」
『ハインズ様から? 聞いて欲しい事?』
「メイプルリーフ、ってご存じですか?」
『メイプルリーフっ?』
 その声には、驚きの色が色濃く出ていて。
「今、それらしき物を預かっているんすが……」
『あの魔法の葉を……と言うことは、あなた達がこの時代の英雄?それ、どうしたんです?』
「リスの街のクン氏から預かったんですが、もう何の事やらさっぱりで……」
『え、クンから頼まれた?』
 そう叫んだ後、ジェイは黙り込む。
「……何か知ってるんですか」
 返ってきたのは、うーん、という唸り声。そして。
『はい、その紅葉については以前本で読んだことがあります。英雄の紅葉、英雄だけがその持ち主になることが出来る神秘の紅葉であり、持ち主を失ってしまうと枯れてしまうんですって。多分クンさんに紅葉を渡した方が先代の英雄らしいですね』
「……ちょっと待て」
 唐突に、レヴェンツが口を挟む。横にいたクレピスが、驚いた様子で彼の方を見た。
「英雄だかなんだか知らないが、俺たちにそんな重要な物背負うなんて無理だぜ?」
「それは確かに……言えてるかも」
 再び、クレピスも視線を機器へと移す。
『でも……』
 そう言ったのは、先輩だった。
『クンさんって人が違ったように、それを持ったから英雄確定って訳じゃないんじゃない?』
 先輩の指摘は的を射ていたようで。
『確かに、そうですね……』
 そして、切り替えるように。
『紅葉が枯れてしまうって事は、現在の持ち主が決まっていない為だと思います。持ち主が現れたら、元の姿を取り戻すような気がするけど……』
「とりあえず、その英雄とやらを探すしか無い、って事か……」
 ため息混じりに、レヴェンツはそう言った。
『そういう事になりますね。僕ももうちょっと文献を調べてみるから、後でまた連絡お願いできますか?』
『あ、自分手伝いますよ。暇だし、その方が見つかったときにすぐ連絡取れますし』
 先輩が口を挟む。
『助かります』
「では、そう言うことでお願いします」
『ある程度心当たりはあるので、すぐ連絡出来ると思います。では』
『じゃあ、またそのうち』
 先輩側が機器を止めたらしく、機器はそれっきり黙り込んだ。
 その機器が再び音を立てたのは、丁度夕食を食べていた時。
『聞こえてる?』
 それは、先輩の声。口の中のラーメンを飲み込んで、慌ててクレピスは応えた。
「あ、はい、大丈夫ですっ!」
 ラーメンをすする音が聞こえていたのか、先輩は言う。
『もしかして、夕食食べてた?』
「まぁ、一応は……。でも大丈夫ですよ」
『ならいいけど……とりあえず、紅葉に関する話、ちょっと見つかったよ』
「本当っすかっ?」
 まだ口をもごもごとさせながら、レヴェンツは言った。
『本当本当。とりあえずジェイさんに替わるね』
「お願いします」
 ほんの少しの雑音の後。
『内緒替わりました、ジェイです』
「あ、どうもです」
『えっと……早速本題なんですが、古い文献によると魔法紅葉はまさにオルビス、ギルド本部にある紅葉玉から生じたそうです』
「紅葉玉?」
「妖精の持ち物か何かか?」
 思わず、二人は顔を見合わせる。
『その紅葉玉というのがどういう物なのか記されていませんが……とにかく過去にはメイプルワールドの中心にあった玉なのに、余所の人たちが其処に移してしまったと、文献は語っています』
「……と言うことは、オルビスに行くしか無いのか?」
『そういう事になりそうね』
 そう苦笑したのは先輩。
「また移動、ですか……」
 二人は黙り込む。無理もない。
「……とにかく、ありがとうございました。とりあえず、オルビスに行ってみますね」
 そう言ってボタンを押そうとしたその刹那。
『あ、待ってください!』
 焦ったようにジェイは呼び止める。
『まだ、続きがあるんです』
「「え?」」
 思わず、二人は顔を見合わせる。
『紅葉玉を活性化させるには、「永遠の書」が必要らしいんです』
「永遠の書……って何だ?」
『さぁ……ただ、記述と共に文献に挟まれていまして。持っていくに超したことは無いかと』
「……と言うことは、やっぱり先にヘネシス行かなきゃって事ですか……」
 思わず、大きなため息が口をついて出る。
『あ……自分、オルビス行こうと思ってたからついでに届けようか?』
 そう名乗り出たのは先輩だった。
「本当ですかっ?」
『ええ……というか……』
 一瞬の沈黙の後
『シオン君、返さなきゃいけないし』
『そうだニャ。飼い主の癖して、実は忘れてたんじゃニャい……?』
 あ、と思わず呟いて。
「ごめんごめん。どうにも、こういうのって血が騒ぐというか」
『そんなことだろうと思ったニャ』
『伊達に一緒にすごしては居ないって事かしらね』
 ステラもまた、ここぞとばかりに発言する。
『とにかく、明後日の正午に着くようにするよ。それでいいかな?』
「いいっすよ」
「はい」
『じゃ、もう切るね。麺類食べてたんでしょ?のびちゃうし』
「まぁ……確かにちょっと酷い状況ですね」
 器の中の状況を見て、苦々しくクレピスは言う。
『タイミング悪くて本当ごめんね、じゃ』
 向こうが切るのとほぼ同時に、クレピスはボタンを押す。機器をポケットに入れ、言った。
「こういうのって、わくわくするね」
「そうか? 金にならなさそうだから、俺はあまりやる気は出ないな」
「またそんな夢のない事を言ってー」
 レヴェンツを軽く睨み、ふくれっ面で彼女はラーメンを再び啜り始めた。



   ×  ×  ×   



 船の看板に二人並び、ただ港の方を見つめて。
「遅いなぁ、先輩……」
「正午時の船だったよな?」
「確か、その筈……あっ」
 噂をすれば何とやら。船に向かって走ってくるのは、見覚えのある一人の女盗賊。
 彼女はただ船に飛び乗る。両肩に乗せた二匹の猫が振り落とされそうになるのが、二人の目に辛うじて映った。
「間に合ったみたいね」
「本当に出航寸前だけどな」
 二人は顔を見合わせ、そして笑った。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
 茶色のセミロングに赤い瞳、青月とパンツを纏い、手には金剛杵と呼ばれる短剣の一種。そして、左頬には傷の跡がある。クレピスよりも幼く見え、声も高い彼女こそが、紛れもなく二人の先輩であった。
 息を切らせながら、先輩は二人へと近づいてゆく。
「遅いっすよー、先輩」
 戯けたようにそう言うのは、レヴェンツ。
「本当、ぎりぎりじゃないですか」
「もうこの年になると体力も無くて……」
「先輩、俺より一歳年上なだけじゃないすか」
 レヴェンツが思わず突っ込む傍らで、先輩の左肩に乗っていた茶色の猫が、クレピス目掛けて飛び出していく。それを両手でキャッチして、クレピスは笑った。
「シオン、おかえり」
「ただいまニャ」
 言うや否や、更に彼女の手をすり抜けて、シオンは手すりへと飛び移る。そして、下を見下ろして。
「そろそろ出発みたいだニャ」
 右肩に乗っていた黒猫も、クレピスの肩を経由して、シオンの隣へと飛び移る。
「……みたいだね。乗組員が入り口に鎖繋いでる」
 ステラもまた、下を見下ろして、言った。
 やがて、あれよあれよと言う内に、出航を告げる笛の音が響いた。
 三人と二匹は、ただ甲板からエリニアの方を眺めていた。船が少しずつ揺れだし、やがて船は空を舞い始める。
 ビクトリアアイランドが随分小さくなった頃、レヴェンツは言った。
「そう言えば、永遠の書、預かってきてくれました?」
「あ、うん、ジェイさんから預かってきたよ」
 そう言って、先輩は手すりにもたれかかるような姿勢になり、肩にかけた小さな布袋からノート、そしてそこに挟んだ一枚の紙切れを丁寧に取り出した。二つ折りにされたそれを、折り目で千切れないようにゆっくりと開き、そして二人に見せた。
 それは中央に紅葉が描かれただけの、古い紙であった。
「これが、永遠の書?」
「うん、ジェイさんはそう言ってたけれど……」
 困惑顔のレヴェンツとは違い、ただ、クレピスは真顔でそれを見ていた。
 その様子に気付いたのは、ステラ。
「どうしたの?」
「あ、ううん、ちょっと、ね」
 何かを考えるように、空いている左手を口元へと寄せる。
「何か、感じるのか?」
 レヴェンツも、彼女に視線を移す。
 気が付けば全員がクレピスを見ていて。慎重な様子で、彼女は切り出した。
「やっぱり……何というか、魔力の波動とは違う何かが感じられる、気がする」
「流石霊感持ちニャ」
「魔法使いじゃないから、はっきりと何なのかは解らないけどね」
 思わず、苦笑い。
「けど、唯の紙ではないって事は確かかもね。……それより、メイプルリーフってのを、自分も見せてもらってもいいかな?」
「ええ、勿論」
 そう言って、クレピスはウエストバッグから小箱を取り出し、永遠の書と引き替えの形でそれを先輩へと渡す。
 風に飛ばされないように僅かに小箱を開き、のぞき込むように先輩はその中を見る。紅葉は、僅かに白い輝きを纏って、其処に鎮座していた。
「ありがと」
 そう微笑んで、先輩はクレピスに小箱を返す。
「いえいえ」
 小箱、そして永遠の書をウエストポーチに入れて。クレピスは呟くように言った。
「でも、オルビスなんて久しぶりだなぁ」
「本当だな。最近はビクトリアにずっと居たし」
 彼らはただ、自分たちの下、雲が重なり合うその空間を見つめていた。この下には海があると言うけれど、ここからでは青など全く見えない。
 風に吹かれてぼんやりしている、そんな時間は、長くは続かなかった。
 彼らの居るよりも一段上の段から、嫌な感じのする話声が聞こえてきたのだ。
「なぁ、あの翼」
 それに気付いたレヴェンツは、気付かれない程度に背後を盗み見る。
 若い冒険者のパーティだろうか。クレピスよりは幼い程度のの少年少女が四人程、レヴェンツやクレピスを指さして囁き合っていた。
「何あれ?まるで悪魔のような翼じゃない」
「不吉だねぇ」
「むしろ悪魔の子供とかっ?」
「恐ーい」
「やだな、あんなのが同じ船に乗っているなんて」
「全くだよ」
 馬鹿馬鹿しい。そう思いながらも、彼はクレピスの方を見る。案の定、と言うべきか。彼女はただ手すりを握りしめ、小さく震えていた。
「先輩」
 二人の間に居る先輩に、彼は少年少女達には気付かれないように囁いた。
 先輩にも陰口は聞こえていたようで、振り返るついでに、彼女はパーティを睨み付けた。
「クレピス連れて、船室に行っておいて下さい」
「レヴェンツは?」
「俺は……」
 俺は、何をしたいのだろう。
 少し悩んで、レヴェンツは続けた。
「……ちょっと、やりたいことがあるので」
「……解った」
 そう言うと、先輩はクレピスを支えるように、肩を抱いた。先輩のその方に飛び乗るのは、シオン。ステラは、レヴェンツの肩へと飛び乗った。
「行きましょ」
 クレピスはこくりと頷いて。
 二人と一匹が船室の扉を潜るのを見届けてから、レヴェンツはふぅと息を付いた。
「どうしたの?いつもなら無視で終わりなのに」
「いや、ちょっとね。人間って奴は、何で歳を取る度に懐が狭くなるんだろう、って」
「何を唐突に……」
「……いや。自分でも何を言ってるのか解らなくなってきたよ」
 彼は四人組の方を向き、そして近づいて行く。少年達は笑うのを止め、その顔を焦りと恐怖の色に染める。
「やぁ」
 レヴェンツはそう声をかけるが、誰一人として応えない。だが、そんな事などお構いなしに彼は続ける。
「見たところ君たち冒険者だけど、人間十人十色、って学ばなかったか?」
「でも、お前悪魔だろ、そんな黒い服で、気持ち悪い翼なんて付けて!」
 見るからにやんちゃそうな少年戦士が叫ぶ。
 他の三人からも、そうだそうだ、という声が続く。
「言っちゃいけない事を言うのが格好いいと思ってる年頃なのかしら……」
 ステラの呟きは無視して。
「そんな事言って、俺が悪魔じゃなかったらどうするつもりだ?」
「知るかよ、気持ち悪いのには変わりねーよ」
 再び、レヴェンツは息を吐く。期待外れ、やはり何を言っても、無駄だ。
「ねぇ、ちょっと……」
 魔法使いらしき少女が、震えた声でこう呟く。
「あぁ?どうした――」
 少女の向く方向を見て、少年戦士、そして他の二人も固まる。
 空から飛来してきたのは、レッサーバルログ。航海中には、よくある光景。
「あーあ……」
 一言そう呟くと、レヴェンツはカタールを構え、自身にメルガードをかける。そして短剣に疾風を纏わせると、段差をかけ登った。
「お前らのレベルじゃ対抗なんて出来ねぇ、早く船室に入れっ!」
 ステラもまた、彼の肩から飛び降りる。
 甲板の一番高い所にかけ登ったレヴェンツは、突進してくるバルログを寸前のところで避け、サベジスタブで何度も攻撃する。レベルは僅かながらもバルログの方が高い。だが、退けるだけならそう難い相手ではない。
 だが、アサルターでバルログの背後にまわった瞬間、彼は硬直した。先ほどの少年戦士が、階段のすぐそこでスノーボードを構えているのが、彼の目に映ったのだ。
「馬鹿野郎! 早く船室に入れっ」
「へへ……バルログなんて俺でも何とかなるんだぜ……!」
「銀スノなんかで何とかなるかっ!」



 少年戦士の体は、心なしか震えていて。
 バルログもそれを見つけたらしく、レヴェンツではなく少年戦士の方へ突進する。
 幸か不幸か、爪が彼を襲う寸前に少年戦士は反射的にスノーボードでガードしようとした。スノーボードは、粉々に砕け散る。
「あっ……」
 反動で尻餅をついた少年戦士は、腰が抜けてしまったのか、呆然とバルログを見上げる。
「馬鹿野郎……!」
 レヴェンツは走る。バルログは勝ち誇ったように再び腕を振り下ろす。
 その間に立ちふさがって、彼は左手に装備したリストで防ごうとする。運良く爪はリストに弾かれ、バルログは若干後退した。
「ステラ、援軍呼んでくれ!」
「りょ、了解!」
 退避していたステラは、階段を駆け下りた。
 その内にレヴェンツは、サベジスタブでバルログをさらに押す。
「おい、そこの馬鹿、よく聞け!」
 少年戦士はびくっとして、けれど黙ってレヴェンツの背中を見る。
「強がったり酷な事言ったりするのが、格好いいなんて思うなよ。そんなものは、所詮甘ったれた子供の発想だっ!」
 そして、アサルター。バルログの動きが止まったその時、階段を先輩と見知らぬ戦士が上ってきた。
「戦士さん、すみませんがその子をお願いします!」
 階段を越え、先輩はバルログに向かってアサルターを発動する。
「助かりますっ!」
 二人は、ただひたすらサベジスタブ、そして時折アサルターで、バルログにダメージを与える。
「何かこのバル、強くないっ?」
 攻撃の最中に、先輩はレヴェンツに向かってそう叫ぶ。
「確かに、何かおかしいっすよ!」
「仕方ないかな……時間稼ぎお願い!」
 一瞬でその意味を察した彼は、何も言わず、アサルターをバルログに喰らわ続ける。
 そして。
「オッケー、逃げて!」
「うい!」
 バルログからバックジャンプで、彼は逃げる。入れ違いで出てきたのは、先輩。
 バルログの足下には、いつの間にか大量のメルが散らばっていて。
「いけぇ!」
 そう言って彼女は、幻影のボタンを押す。メルが、一斉に爆発した。
 マスターシーフ最強の技、メルエクスプローション。
「……幾らの赤字になるんだろうな」
 切なげにそう呟く先輩の傍ら。流石に勝ち目は無いと判断したのか、はたまたどこかを負傷したのか、バルログは一度咆哮すると、逃げるように空へと飛んで行った。
「ふぅ……ありがとうございます、先輩」
「ううん、気にしないで。とりあえずクレピスちゃんの所に戻りましょ」
 そう言って、先輩は階段を下る。それに続くように、レヴェンツも階段を駆け下りた。 船室の扉を開くと、クレピスは二匹の猫達と共にその入口の近くに居た。
「お帰り……」
「ただいま」
 その横にレヴェンツ、更に横に先輩が座る。
「バルログは?」
「退治したさ」
「そう……」
「……大丈夫か?」
 クレピスの顔をのぞき込んで、彼は言う。
「うん、随分調子は戻ってきたよ」
 そう言って、彼女は笑う。だが、その笑い声もすぐに止んで。
「やっぱり、弱いね、僕は。何度同じ事を言われても慣れなくて」
「普通の人間はそんなもんさ。クレピス位の歳なら尚更」
「そうそう、こいつが極端なだけだから」
 レヴェンツの肩を掴んで、先輩も言う。
 不意に、レヴェンツは下の段に先ほどの少年少女、そして戦士が居るの事に気付いた、ちょっと、と先輩の手をどけ、梯子を下る。
 唐突に目の前にやってきた者に、少年達は怯えるような申し訳なさそうな、そんな目を向けた。
「俺が本当に悪魔ならさ、わざわざそんな赤の他人の馬鹿な戦士を助けたりはしないよな?」
 少年達は、ただ俯く。
「お前らのやったことは解っていて人を傷つけてさぁ……どっちのやったことの方が悪魔に近いのか、解るか?」
「ごめんなさい……」
 彼らの一人が、呟くように言った。
「もういいよ、レヴェンツ」
 不意に頭上から声が聞こえて、見上げる。上段から、クレピスと先輩がしゃがみ込んで見つめていた。
「僕は大丈夫だから……だから、その子達を許してあげて」
「でも……」
「まぁ、許してあげなよ。十分反省してるみたいだしさ」
 援軍に来てくれた戦士が、少年戦士を抱き抱えて、言った。
 レヴェンツはただ、黙る。まるで、自分だけが子供のように怒っていたみたいで。
 そんな彼に言葉を発したのは、少年戦士だった。
「俺……悔しいけど間違ってたよ。ごめんなさい」
 その言葉を疑うという選択肢を、あえて彼は外して言った。
「そうか……反省してるならいいさ。ただ、これだけは覚えて置いてくれ、見た目なんかより中身が重要だってな」
 振り返り、梯子を登る。ごめんなさい、の言葉がいくつも背後から聞こえたが、彼はもう振り返らなかった。
 先ほどまで座っていた場所にどっかりと座り、彼は呟く。
「結局、俺は何をしたかったんだろうな」
 他よりも一足早くやってきたステラが、その言葉に応えた。
「全くだね」
 そして、彼の横へちょこんと座った。
 オルビスまで、まだ長い――。



   ×  ×  ×   



 先輩の持っていたオルビスの地図を中の一点を指さして、レヴェンツが言う。
「ギルド本部……ってこれすかね?」
「だね……ここから結構距離があるみたい」
 行き交う者は妖精族が殆ど、時々人間族が混じってる程度で。心なしか視線を向けられているように感じられる。
 だが、それがオルビスという街。妖精は非常にプライドの高い種族で、特に人間族には非常に冷たいのだ。
「それにしても、紅葉玉ってどんなのなのかニャ?」
 クレピスの肩の上で、シオンが呟く。
「蜜柑ぐらいの大きさじゃないかなぁ」
「もっとありそうじゃないですか?この間のお化けスイカぐらいの大きさとか」
 そう言って、クレピスはゲッタを脇にかかえ、手でその大きさを示す。
「それにしても……腹が減ったな」
 そう呟きながら、レヴェンツは辺りを見回す。オルビスは雲の上に造られた街で、いくつもの足場が複雑に立ち並んでいる。
 唐突に、あ、と声を漏らして、レヴェンツは急に足を止めた。
「どうしたの?」
 足下を歩いていたステラが振り返り、彼の方を見る。それに倣うように、皆が足を止め、レヴェンツを見つめた。
「あ、いや……あれ」
 彼は手に持ったカタールで、少し遠い右上の足場を指し示す。
「……あ」
 そう声を漏らしたのはクレピスで、彼女もまたその方向に釘付けとなった。
 其処にいたのは、あの伝言を頼んだ戦士であった。
「……知り合い?」
 先輩、そして二匹の猫は、疑問符を浮かべて問いかける。
 ううん、とクレピスは首を振る。
「ちょっとした依頼の依頼主ですね」
「メイプルリーフの?」
「いや、そっちじゃなくて……うーん、何て言えばいいんだか」
「実はクン氏からメイプルリーフを受け取る前に、クン氏に伝言受け取ってたんですよ。その伝言を伝えに行ったらクン氏からメイプルリーフに関する依頼をされた、って感じで」
「へぇ、そうニャの」
「えぇっと、とりあえず……お久しぶりですー、伝言はちゃんと伝えておきましたよー!」
 大声で、クレピスは青年に向かって挨拶をする。
「そうか……よかった」
 不思議と響く声で、青年は応える。青年の口元が綻ぶのが、遠目ながらも確認できた。
「あ、丁度いい。ちょっと聞きたい事あるんすけどいいすかー?」
「何だい?」
「紅葉玉、って御存知すか?」
「紅葉玉、か……知っているとも」
「本当すかっ?」
「ギルド本部にあるって聞いたんですけど、お願いすれば見せてもらえるものなんですか?」
 クレピスが口を挟む。
「そうだね……ギルド本部に居る緑髪の人間の職員にお願いすれば、きっと大丈夫だ」
「妖精族の宝とか、そういう物じゃないのかニャ?」
「どうだろう。でも、そうなら人間族にお願いしても無意味だし、違うのかもしれないね」
 いつの間にかクレピスの肩から飛び降りたシオンが、ステラと共に小さく呟く。
 その呟きを聞きながら。
「そうですか、ありがとうございます!」
「では、私はこれで失礼するよ。……頼んだ」
「えっ」
 レヴェンツが聞き返した時にはもう遅く、
「今、最後に「頼んだ」って言わなかったか?」
「気のせいなんじゃない?」
 のけ者扱い状態であったの先輩が、そう答える。
「僕も聞こえなかったけど……空耳じゃない」
「……かねぇ」
 彼は少し何かを考えるように手を組んで黙り込むが、やがてその手を解いた。
「ま、気のせいかも知れないな。行きますか」
「どちらにしても、ギルド本部には行かなきゃ行けないみたいだしね」
 無気力気味に言った先輩を先頭に、三人と二匹は再び歩き出す。
 オルビスはかなり入り組んでいる上、ワープ地点も結構な数があって……迷いながらも到着した頃には、既に薄暗くなっていた。
 その荘厳な入り口を潜る。入り口で風は遮断される仕組みのようで、室内はとても暖かかった。
「あの、すみません」
 始めに声を発したのはクレピスだった。
 受付席に座る妖精族の女性が、笑顔で答えた。
「こんばんは。ギルド作成の方々ですか?」
「あ、いや、ちょっとここの職員に用があって……緑髪で人間族の職員って居ます?」
 レヴェンツの問いに、女性は即答した。
「人間族で緑色の髪と言えば、ノヴェルさんですね。お取り次ぎ致しましょうか?」
「お願いします」
 彼の言葉を聞くと、女性は電話の受話器を取り、一言二言話すと再び受話器を置いて、言った。
「数分で来られますので、あちらのソファでお待ち下さい」
 女性の指し示した先には、二人ずつ向かい合って座れるタイプのソファがあった。その間には机が置いてあり、その上には灰皿が一つだけ置かれていた。
「ありがとうございます」
 クレピスが礼を言い、彼らはソファへと向かい、そして座る。シオンとステラは、それぞれの飼い主の膝の上に落ち着いた。
 その男性は、五分程でやって来た。
「どうも、セイフ・ノヴェルです」
 そう言って彼は空いていた先輩の隣に座り、三人に名刺を配る。其処に書かれた肩書きは、「ギルド本部人間族科特別顧問」。
 そして、上の方で纏められたその長髪は、確かに根本から緑色であった。
「お忙しいところ、本当にすみません」
「本当にありがとうございます、クレピスです」
「レヴェンツっす」
 先輩に続き、二人も軽く会釈をする。
「いえいえ、お構いなく」
 ノヴェルもまた、笑顔のままで会釈をした。
「さて、僕に何のご用件でしょうか」
「えっと、まずこれを見て頂きたいんです」
 そう言って、クレピスは小箱を取り出し、彼の前に置く。失礼、と言って小箱を開いたノヴェルの顔は、真剣そのもの。
「これは……」
「メイプルリーフです」
「……メイプルリーフだって?」
 思わず大声を上げる彼に、周りの視線は注がれる。あ、と呟くと、彼は申し訳なさそうに頭を垂れ、言った。
「すみません。……しかし、本当にこれが?」
「ハインズ様が言っていたので間違いは無い筈です」
「成る程……」
 ただ、ノヴェルは箱を手に持ち、考え込む。そんな彼に、レヴェンツは言った。
「ハインズ様から紹介された考古学者から、紅葉玉の存在を聞いてオルビスに来たんですが……紅葉玉を見せてもらうことは可能すか?」
「本部の紅葉玉を見せること自体は問題ないですよ」
 彼の視線は、紅葉に注がれたままで。怪訝そうに、先輩は訪ねた。
「何か、それに関して知ってるんですか?」
 ゆっくりと目を離し、彼は答える。
「はい。オルビスでは有名なおとぎ話と、それと父からこれについて聞いたことが」
「その話、聞いても?」
「ええ」
 そして、小箱を閉じ、ことんと机の上に置いて。
「僕の家は代々オルビスに住んでいるんです。オルビスでは有名な話なのですが……確かメイプルリーフはこの世界と繋がっていて、それは代々「英雄」によって受け継がれて来たそうなんです」
 ここまではハインズやジェイから聞いた話と同じで。
「で、ここからは父から聞いた話なのですが……曾祖父がその「英雄」に会った事があるらしいんです」
「会っただってっ?」
「ええ。おとぎ話では英雄は妖精に限られるとされていたらしいんですが、どうも曾祖父が会った「英雄」は人間だったらしいんです。とは言っても、曾祖父が会ったのはその人が英雄になる少し前だったらしいんですが。……とにかく、妖精からも冷たい目で見られていたらしいんですが、とある事を切欠に、妖精達とも友達になったそうです」
「妖精族と友達になるなんて、そんな事考えられないニャ……」
「その、とある事って一体……」
 真剣な面もちで、クレピスは問う。
「オルビスを、バルログが襲ったんです」
「嘘っ、バルログは集落には近づかないんじゃ……」
「そのバルログは普通の個体よりも強かったらしくて……何しろ、その時も紅葉は萎れていて、その影響ではないかと言われています」
「もしかして、今日襲ってきたバルログが相当タフだったのって……」
「かもっすね……」
 先輩とレヴェンツは、顔を見合わせ、囁きあう。
 ノヴェルはゆっくりと頷いて、続きを話す。
「所有者の見つからない間、紅葉は萎れてしまうそうで。極度に萎れてしまうと所有者が見つかっても、それだけでは戻らないそうなんです」
「そんな……」
 思わず伏せ目がちになるクレピス。
「でも、方法は無いわけでは無いそうなんです。何でも、「紅葉の精」なる一族が居るそうで。ただ……曾祖父が生きていた頃はオルビスに住んでいたそうなのですが、今は何処に居るのか……噂によると、何処かへ移住したとか、まだオルビス近辺でひっそり暮らしているとか……」
「また、大変そうだな……」
 思わずレヴェンツの口から出る溜息。
「……僕が知っているのは、これくらいです。あまりお役に立てなくて申し訳ありません」
 申し訳なさそうに頭を下げるノヴェルに、慌てたように先輩は言った。
「いやいや、随分助かりましたよ」
「そうっすよ」
「なら、いいのですが」
 まだ申し訳なさそうにする彼に、クレピスは言う。
「ですよ。僕たちが知っていたのは、メイプルリーフが世界と繋がっているって事ぐらいでしたし。……それより、宜しければ紅葉玉を見せて頂けますか」
 あ、とノヴェルは呟いて。
「紅葉玉でしたら、入り口から見えますので問題は無いです」
「嘘っ!」
 思わず、ステラは言葉を発する。
「ええ、本当ですとも。ついてきて下さい」
 立ち上がる彼に倣って、三人も立ち上がる。シオンは肩に飛び乗り、ステラは先輩の足下へ飛び降りた。
 ノヴェルを先頭に、彼らは再び門を潜って外へ出る。そしてすぐノヴェルは振り返り、建物の屋根の方を指さした。
「ほら、あれです」
「でかっ」
 レヴェンツがそう叫んだのも無理は無い。中に紅葉を抱いたその玉は、少なくとも人間の身長よりも直径は大きいようで、四枚の翼に抱かれるように、どっかりとその屋根の上に佇んでいた。
「あ、あれが紅葉玉……」
「本当、大きいね……」
 先輩とステラも、思わず硬直している。
 そんな彼らに、ノヴェルは構わず声をかける。
「あ、こちらから紅葉玉の近くに行くことが出来ますよ」
 そう言って彼は、一つの柱の陰へと歩き、そして姿を消した。どうやらワープポイントがあるようだ。
 駆け足で、彼らも陰へと飛び込む。一瞬の浮遊感の後着地したのは、小さな足場だった。
 先輩が震えたように、呟く。
「た、高い……」
 それもそうだ。落下すれば命は無いような高さで。思わず先輩はしゃがみ込んだ。
「先輩、高所恐怖症でしたっけ、そういや……?」
「そうそう。もうこの高さでこの狭さだと全然駄目」
 ステラを抱き抱え、足場の中央で縮こまる先輩を尻目に、クレピス達は呟いた。
「……確かに、唯のモニュメントじゃないみたいですね」
「とりあえず、永遠の書はどうするのかニャ」
「永遠の書をお持ちで?」
 ノヴェルは驚いたように問う。永遠の書を取り出しながら、クレピスは答えた。
「えぇ、例の考古学者さんから」
「そうですか……」
 再び、考え込むノヴェル。風が、強い。
「……もし、貴方達が「英雄」なのであれば……あるいは」
「本当、預かっただけだけどな」
「いや、でもやってみる価値はありますよ」
 気怠そうなレヴェンツに、ノヴェルは力説する。
「可能性は捨てきれませんって。……とりあえず、もし本当にそうであれば、永遠の書と共にメイプルリーフを紅葉玉に掲げれば、何か起きるはず」
「こう、ですか?」
 永遠の書と共に、クレピスは両手で小箱を掲げる。
 だが、何も起こらない。
「馬鹿っぽいニャ」
「う、五月蠅いって!」
 真っ赤に顔を染め、クレピスはレヴェンツへとその矛先を変える。
「ほ、ほら、レヴェンツもやってみてよ!」
「……仕方ねーな」
 それを受け取り、彼はやる気無さげに天に掲げる。だが、やはり何も起きない。
「予想通り、だな。一応先輩もやってみて下さいよ」
 しゃがみ込み、うずくまった先輩へとそれらを差し出す。震える手で先輩はそれを受け取る。
「自分じゃ……無い、と思うな……」
 ぎこちなく言いながら天に掲げるが、やはり何も起こらない。
「やっぱり駄目かぁ……」
 クレピスはその震える手から小箱と書を受け取り、深く溜息を吐く。
 嫌な沈黙が続く。それを破ったのは、ステラだった。
「クレピスとレヴェンツの二人で掲げてみるとか?ほら、二人で一人ーとかいつも言ってるじゃない」
「いいね、それ!」
 レヴェンツが言葉を発するよりも早く、クレピスは言った。
「えー……」
「ほら、レヴェンツは小箱持って。僕は永遠の書を持つから」
「……はいはい、言い出したらきりがないんだから」
 小箱を受け取り、今度はレヴェンツがため息をつく。
「いくよ、せーのっ」
 やたらと気合いが入った様子でかけ声をかけて、クレピスは書を掲げる。レヴェンツも嫌そうにしながらもそれに倣った。
 と、その刹那。
 紅葉玉の輝きが強まり、そして、書と小箱の中の双方からも光があふれ出る。
「うおっ」
 その目映さに、思わず全員が目を閉じる。やがて。
「治まった……?」
 ノヴェルのその言葉を切欠に、目を開く。紅葉玉は元のように穏やかに輝き、永遠の書はクレピスの手から消えていた。そして、小箱は――。
「なんか、重くなったような……?」
 緊迫した雰囲気。ゆっくりと掲げた小箱を下ろし、恐る恐る開く。
 其処に紅葉の姿は無く、あったのは一対の紅葉の形をしたイヤリングのみであった。
「もしかして……正解だった?」
「かも、ですね」
 ステラの言葉に応えたのは、ノヴェル。
「とりあえず、どうしよう……」
 深刻な表情で、クレピスはイヤリングとレヴェンツの顔を交互に見つめる。
 調査の末の結果とはいえ、大切な預かり物がイヤリングなどに変わってしまったのだ。
「謝りにいかなきゃ、いけないんじゃ、ないかな……」
 足下で、先輩が口を挟む。小さく頷いて、レヴェンツは言った。
「どちらにせよ、報告には行かなきゃいけないんだろ」
「うん……」
「だったら、行くしかないんじゃないか?」
「心配しニャくても、アタシやレヴェンツがいるんだから勇気出そうニャ」
 周りを見回して。
「うん、そうだよね。ちゃんと報告には行かなきゃ」
 そして決意したように、彼女は頷く。クレピスに笑顔を向け、そしてレヴェンツは、真顔を先輩に向けて言った。
「先輩はどうします?」
「自分は……三色犬狩るつもりで来たから、暫く、オルビスに居るね……」
 それより、と先輩は言って。
「……そろそろ、降りていい?」
 真剣な面もちで、先輩は顔を上げた。



   ×  ×  ×   



「あの……」
 浮かない顔で、クレピスはクンに声をかける。
 ベンチに座っていた彼は、二人とは対照的に顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「以前箱の中の紅葉について調べてくれると言った人だね、待ってたよ。……隣に居るのは、彼氏さん?」
「あ、いや兄みたいなもんっす」
 真顔でレヴェンツは否定した。
「あはは……そうだったか。それより……どう? 紅葉は生気を取り戻したっ?」
「それが……」
 二人と一匹は苦々しく顔を合わせる。そして、クレピスは続けた。
「えっと、経緯を先に説明しますと、ハインズ様の紹介でヘネシスのジェイ氏に連絡取ってみたんです。そうしたら、オルビスの紅葉玉を訪ねてみればいいかもしれないという手がかりを頂いて……それでオルビス行ったんですが……」
「どうした?」
「……実は、紅葉が消えちゃって……イヤリングになってしまったんです……」
 途切れ途切れに、彼女は報告し、そして小箱の中に入れたイヤリングをクンに見せる。どうしようもなかったとはいえ、依頼主の物を失ってしまったのだ。罵倒では済まない可能性が高い。
 だが、二人の予想に反して、クンは大声で笑い出した。
「ハハハ、魔法紅葉が消えて、イヤリングだけが残ったって?これが正にその紅葉イヤリングなのか?」
「そうっすけど……何か心当たりでも?」
「ん、あぁ。幼い頃、頑是無く先生にその紅葉イヤリングをくれとせがんだことがあったんだ。その時、その方は何も言わずに笑いながらあの紅葉を下さって……」
 彼は腕を組み、空を仰ぐ。何処までも突き抜けた青空。
「その時はからかってると思って、怒りだしたが……その方は嘘付いてたんじゃないよね」
 そして、再び彼らの方を見て。
「紅葉イヤリングは君達にあげよう。紅葉玉についてはよく分からないけど……君達にメイプルイヤリングを与えたってことは、君達が次の主なんだろうからね。過去の英雄は彼だったけど……今の英雄は君達何だろうね」
 最後の方は心なし寂しそうで。
 クレピスは伏せ目がちに箱を閉じる。その様子を見ながら、クンは言った。
「とりあえず、報酬は家にあるから、来て貰えるかい?どうにも、物を持ち歩く習慣が付いてなくてな」
「勿論」
「えぇ、構いませんよ」
「よし、じゃあ行こうか」
 そう言って、クンは歩き出す。二人もその後に付いていって。
 歩いてる途中で、唐突にレヴェンツはクンに問うた。
「なぁ、『彼』についてもっと教えてくれないすか?」
「あ、僕も聞きたいな。皆さん彼は彼はって言ってるのに、具体的な事は全く教えてくれないんですもん」
 クンは歩きながら、再び腕を組む。
「うーん、俺の知ってる範囲でよければ」
「是非」
「お願いします」
 そして、昔を懐かしむように、彼は語りだした。
「先生は、文字通り俺の先生だったんだ。俺は先生に弟子入りしていて。先生は世界中に弟子を持っていたから、本当に時々しか会えなかったんだけどね」
 そう言えば、と彼は言って。
「先生と一緒に旅をしていた妖精族の女性が居たな。確か、とても綺麗で、あぁ、妖精族っていいなって思ったよ」
「妖精族、ですか……」
「そう。でも、これがまた気が強いんだ。ちょっと生意気を言うと口だけで撃退されてしまったり」
 そう言って、彼は笑い出す。幼少の頃の、懐かしい思い出。
「そう言えば、『アガソサネール』ってどういう意味なんですか?」
 不意に全ての始まりの伝言を思い出して、クレピスは問う。
 クンは首を横に振って、答えた。
「さあね。ただ、先生がよく言っていたんだ。「私はアガソサネールになりたい」、と」
「役職か何かかニャ?」
「どうだろう。なにせ、先生の口癖みたいなものだったからね。……あ」
「どうかしました?」
「いや……そう言えば紅葉を受け取った時、あの女性は居なかったなって。最後に先生に会ったのはその時だけど……一体どうしたんだろうね」
 独り言のように、クンはそう呟いた。
 ――ピリオドは、此処じゃない。まだ、何かがある。
 二人と一匹は顔を合わせ、力強く頷いた。



   ×  ×  ×   



 丁度その頃、オルビスの街。
 素朴ながらも装飾されたその扉を押して、彼女は雑貨屋へと入店する。
 カラン、と軽快な音と共に先輩にやってくるのは、二人の妖精――とりわけ赤髪の妖精からの、突き刺すような視線。
 その視線の痛さを感じながら、先輩はカウンターへと近づいていく。
「あの、ミネラルウォーターと――」
「ねぇ、あなた?」
 高圧的に彼女の言葉を遮ったのは、あの赤髪の妖精、クリエルだった。
「姉さん?」
 カウンターに立つ妖精もまた、怪訝そうにクリエルに言葉を投げる。だが、その言葉を無視し、クリエルは先輩を見続ける。
 その雰囲気に押されるように、怯えながらも先輩は答えた。
「は、はい……何でしょうか」
「あなた、この間メイプルリーフを持っていたらしいじゃない?」
 思わず、先輩は首を振る。
「あ、いや……持ってたのは自分じゃなくて、自分の後輩達ですよ。自分は用事ついでに依頼を手伝っただけで」
「そう……」
 だが、クリエルは目を離さない。カウンターの妖精などは、二人に背を向けて商品の整理を始めてしまった。黒猫も、完全に雰囲気に飲まれてしまったのか、彼女の足下で縮こまってしまっている。先輩にとっては、非常に気まずい状況であった。
 幸運にも、そう時間が掛からないうちにクリエルは再び口を開いた。
「その子達とは、連絡は取れるの?」
「い、一応は……」
「そう……。じゃあ、オルビスに呼び出してもらう事は出来るかしら?」
 妖精側からのお願い。それは非常に珍しい事で。
 内心驚きながらも、先輩は答えた。
「呼び出せる事は呼び出せますけども……。けれど、今二人はビクトリアですから、何日かはかかりますよ?」
 最後の方は消えるような声になってしまって。
「そう……それは仕方ないわ。とにかく、オルビスに来るように伝えておいて」
 そう言うや否や、クリエルは荷物を抱えて二階へと上がってしまった。
 緊張感から解放されて、ふぅ、と思わず息をつく。そして、先輩は静かにポケットから通信機器を取り出した。



   ×  ×  ×   



 暖かな光に包まれて。彼女に支えられた彼と、白いドレスを着た彼女は、キスをした。
 永遠の愛を誓う、そのキスは暖かくて。
 けれど、彼女は彼には内緒でもう一つの契約を交わす。
 ごめんなさい、と彼女は心の中で呟いて、そしてその唇を離した。
 彼女は一筋、涙を流す。
 ――嗚呼、思えばこれは、酷く身勝手な考え。死後の安らぎさえ奪い去って、自らの傍らへと縛り付けるなんて。
 けれど、彼はそんな愚かな彼女に、柔らかな笑みを返した。



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2007.11.4up


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