◆ 時と心と−下− 




「思い残すことは無いさ」
 けれど、その言葉はやせ我慢。
 オルビスにある小さな家に住まうのは、人間の青年である彼。
 音も、色も、何もかも……全て、抗いきれなかった二つの力が奪い去ってしまった。
「後悔なんて、していないさ」
 ただ、遠く離れた地に思いを馳せるように。安楽椅子に揺られながら、彼はそう言った。
 これは、一時の幸せの代償。けれど、それを後悔する気持ちなど微塵もなくて。
「……すまなかった」
 正面の出窓から差す陽の光は、とても暖かくて。その暖かさを味わうように、彼はゆっくりと瞳を閉じた。
 その瞳が開かれることは、もう無かった。



   ×  ×  ×   



 船を下りてゆくその人の列の最後尾に、二人は居た。
 ビクトリアよりも近いその陽の光を浴びて、レヴェンツは思わず伸びをする。
「街とか大陸とか、こんなに行ったり来たりするなんて、いつぶりだ?」
「本当だね。体の疲れが取れないよ」
 クレピスが、疲れたようにそう言う。
「全くだニャ」
 そう呟くのは、クレピスの足下で歩くシオン。
 前を向いた二人は、あ、と声を合わせ、一点を見つめる。
 其処に居たのは、先輩とステラだった。
「船旅お疲れさまー」
 オーバーに右手を振る先輩に、二人は笑顔を返す。二人と一匹は、一人と一匹に駆け寄る。
「迎えに来てくれたんですか?」
「今日の狩りノルマは大体達成したからね」
「どれだけ頑張ったんすか……」
 そして、彼らは並んで歩き出す。
「しかし……僕たちに会いたいっていう妖精が居るなんて、どういう事ですか?」
「うーん、自分もよく分からないんだけどね。ただ、メイプルリーフに関する事だと思う。「メイプルリーフを持ってたらしいじゃない?」って聞かれたから」
「成る程……それなら妖精が会いたいっていうのにも納得がいきますね」
 ふっ、と思い出したように。
「そう言えば、あのイヤリングくれたって言ってたけど、今も持ってるの?」
「あ、俺が持ってます」
 そう言って、レヴェンツはポケットからイヤリングを取り出す。
「着けないのね」
 そう呟いたのは、ステラ。
「何か、悪い気がしてな」
 そう言って、彼は苦笑した。
 彼らは歩き続け、そして雑貨屋の前に到着する。
「雑貨屋……?」
 クレピスは思わず、先輩に顔を向ける。
「うん、雑貨屋のクリエルさん」
「あぁ、あの愛想の無い……」
 苦々しい表情で、レヴェンツは呟いた。
 先輩が扉を開く。彼らを見て、棚に商品を並べていたクリエル本人が、言葉を発する。
「この間の……?」
「とりあえず、連れてきましたよ」
 怖々ながらも、先輩はそう答えた。
「どーも」
「こんにちは」
 クリエルは彼らの前へと飛び、そして二人を交互に見つめる。
「どっちが、所有者なの?」
「あ、どうもそれが、二人で一人状態らしくて……」
 自然と先輩に倣って、クレピスも小声になる。
「へぇ……」
 クリエルは腕を組んで、彼らを見下ろす。そして、少し黙った後。
「メイプルイヤリングを出して」
「あ、あぁ」
 レヴェンツの出したそれに顔を近づけ、クリエルはイヤリングを凝視する。そして、二人の顔を交互に見て。そして顔を離して言った。
「……成る程ね。確かに、二人と繋がりを感じるわ」
「解るんですかニャ?」
「えぇ、一応ね」
 その声は、心なしか寂しそうで。
 だが、元の強気な調子でクリエルは言葉を続けた。
「所有者って事は……英雄が二人、か。どっちにも英雄の素質があるって事なんだけど……どっちもそうは見えないわね。前代の彼は誰が見ても英雄の風貌だったけど……」
「え、その彼ってのを知っているんですか?」
 思わず、クレピスは問いを発する。
「当たり前よ。彼は人間、それも冒険者だったのに珍しい事に妖精の友達でもあったのよ。妖精から認められる程良い人だったの」
「それって……バルログが襲撃してどうたらっていう?」
 心なしかレヴェンツの言葉も普段より控えめで。
「何でそれを知ってるの?」
「ギルド本部のノヴェル氏から聞いたんです」
「成る程ねぇ……確かにノヴェル家は代々オルビスに住んでる人間の一族だから、知ってる可能性もある、か……」
 呟くように、クリエルは言う。
「全く……英雄である彼の為に古代魔法も研究したのにね……。あ、そうだ」
 イヤリングを指さして、クリエルは言った。
「ねぇ、メイプルイヤリングを付けてみてよ」
 二人は、ただ顔を見合わす。そんな二人の様子を見て、更に先輩が押す。
「いいじゃない、もう預かり物じゃなくて正式にもらったんだから」
「……そうっすね」
「うん、片方ずつ付けよっか」
 レヴェンツは一対の片方をクレピスへと渡す。
「鏡、あります?」
「えぇ、向こうの方に」
 クリエルの指さす方に移動して、最初はレヴェンツが右耳に、そしてクレピスが左耳へと、元から付けていたホリークロスイヤリングを外し、装着した。
「片方ずつって、違和感あるね」
 ステラが呟くように言ったが、クリエルは満足そうに言った。
「二人で一人、ね……。ねぇ、知ってる?」
「ん?」
「何ですか?」
 クリエルがにやっとした笑顔で、言った。
「メイプルイヤリングは古代妖精の祝福で凄い力を発揮するのよ」
「そうなんすか?」
「へぇ」
「えぇ、今のままだと、唯のイヤリングとさほど変わらないしね。……今の持ち主は彼じゃないけど、貴方達が望むなら、貴方達が持ってるメイプルイヤリングに古代妖精の祝福をかけてあげるわ。人間は嫌いだけど……彼と同じメイプルイヤリングの持ち主なら……」
 最後の方は本当に独り言に等しくて。
 シオンがクレピスの右肩に飛び乗り、言った。
「面白そうじゃない、かけてもらえばどうニャ?」
「うん、もらった物をいい状態で使うのはいいと思うよ」
 先輩も、シオンに賛同する。
 少し考えて、二人は言った。
「そうだな」
「うん。……クリエルさん、お願いしても良いですか」
「ええ。じゃ、スターフィクシを沢山倒して、星の欠片を三十個ずつ持ってきて」
「どうしてだ?」
 レヴェンツの問いに、呆れたようにクリエルは答える。
「スターフィクシを倒したときのエネルギーを全身に溜めて、その魔力を浄化する力を利用しないと、古代魔法の祝福はかけられないのよ。強力な祝福なんだから、何も無しでかけられる訳無いじゃない」
「ぬぅ……」
 ふっ、と溜息を吐いて。クリエルは言い放った。
「じゃ、待ってるわよ」
「えぇ、では行ってきますね」
 不機嫌そうなレヴェンツを連れて、彼らは扉を開き、出て行く。
 それを見送った後、昔を懐かしむように瞳を伏せ、呟いた。
「そっか……やっと、貴女の願いが叶うのね……」



   ×  ×  ×   



「貴方がこの時代の英雄? 冗談も休み休み言って頂戴」
 偶然、友人からその紅葉の葉を預かっただけ。その葉は酷く萎れていて。拳様は言った、「オルビスへ行きなさい」と。
 だが、オルビスに辿り着いて、妖精達から手がかりを得ようとしてもこの有様。
 そして、辿り着いたのは、紅葉の封じられた赤い玉のモニュメントがある、ギルド本部前広場であった。
「誰?」
 長い髪が美しい、妖精の娘だった。ハーフなのか、そういう血筋なのか。顔はオルビスの妖精のそれと同じであるのに、羽だけがビクトリアの妖精のそれに近いものだった。ベンチにちょこんと座ったその姿は可愛らしく、そして美しかった。
 警戒心がむき出しであるとはいえ、無視よりはいくらか話易い。思い切って、彼は言った。
「この紅葉について、何か知ってることは無いでしょうか?」
 布で包まれたその紅葉を見るや否や、娘は顔色を変えた。いや、それどころかこの街のどの妖精よりも怒りと嫌悪に染まった表情をむき出しにした。
「貴方が英雄ですってっ? 冗談じゃないわ!」
 勢いよくベンチから立ち上がり娘は走り去った。明らかに他の妖精とは違う、異常な反応。
「何なんだ……一体」
 彼は歩き続け、やがて人間の多く住む住宅街へと到着した。その中の、とりわけ古そうな家の中に、初老の老人が入っていこうとするのが彼の目に映った。殆どが白髪ながらも、珍しい緑髪である事が解ったが……けれど、老人には翼もなく、顔も人間のそれであった。
「あの……すみません」
 妖精とは比べものにならない程、話かけやすい。
「何じゃ?」
 杖をついた老人は、ぼんやりと彼の目を見つめる。
「これについて、何かご存じありませんか?」
 そして、妖精族やあの娘にしたのと同じように布で包んだ紅葉を見せる。老人は眼鏡を鼻にちゃんとかけると、紅葉をじっと見つめて、言った。
「メイプルリーフ……か?」
 そう言えば、拳様は紅葉の事をそう言っていた気がする。彼は、肯定の意味を込めて首を縦に振った。
「そうか……君が。いやはや、まさか人間族だとは……。上がりなさい、わしの聞いたおとぎ話でよければ話してあげよう」
「本当ですかっ?」
 やっと見つけた手がかり。彼は大いに喜んだ。
 だが、老人の家に上がり、茶を頂き、話を聞く間、その喜びはどんどん消えていった。それどころか、彼にはショックに変わってゆく気さえした。
 紅葉はこの世界と繋がっている重要なもの。その所有者は英雄と呼ばれる事。紅葉は脈々と人の手を伝って素質を持った者に受け継がれてきた事。
 そして、自らがその素質を持ってしまっていた事。素手で触れても枯れないのが何よりの証拠で。
 更に、老人は言った。
「広場のベンチに座った妖精族の娘に罵倒された?そりゃあ「紅葉の精」の娘じゃ」
「紅葉の精?」
「メイプルリーフを癒す者じゃよ。そうやって極度に萎れてしまった紅葉を元に戻すには、紅葉の精が癒さなければいけないんじゃ」
 最も、と付け加えて老人は続ける。
「英雄はずっと妖精族だったそうじゃから、そう言うことも滅多になくて、紅葉の精は名前だけのものだったそうじゃ」
「成る程……」
 彼はただ黙り込んだ。
 同じ頃に。
「嫌よ、私……紅葉に縛られて、それも人間なんかに協力して一生を終えるなんて」
 ここ暫く、何かが自分を求めているような、そんな感覚に襲われることが度々あった。家の文献を漁って、見つけたのはメイプルリーフと世界の繋がり、そして紅葉の精に関する記述。
 身震いがして、書庫から飛び出したのを覚えている。
 ある時期からその感覚の悪化が止まって。せめて妖精族、いい妖精であることを期待して、ただベンチで待ち続けた。けれど、現れたのは人間族。
「紅葉の精になんて、生まれたくなかったのに……」
 憎しみに似た何かに襲われ、膝の上で拳をぎゅっと握る。自己犠牲なんて言葉を作ったのは、偽善者に違いないだろう。
 その後、彼は何度も娘の元へと通った。その度に拒絶され、無視され、突き飛ばされることさえもあった。
 そして、ついに。
「もう嫌、なんで英雄が人間なの! なんで私の代で役目が来るのっ!」
 狂ったように、娘は叫ぶ。彼や冒険者はおろか、周りの妖精達でさえ、近づけないほどに、彼女は興奮していた。
 ただ泣き続ける娘を、ただ彼は立ち去る事さえも出来ずに見つめ続けてきた。
 耐えきれなくて、彼は空を見た。そして、一瞬硬直した。
 そして、全力で娘を抱きかかえて柱の影へと飛び込む。
「何するのよっ」
 娘は乱暴に彼を突きそうとした。だが、不意に彼と柱の向こうにそれをみて、彼女は硬直した。
 それは、成体のレッサーバルログであった。バルログが街に現れるなど、通常ではあり得ない事。しかも、酷く狂っている。
「何……あれ……」
「解らない……けどっ」
 彼は彼女から離れ、バルログへと近づく。構えるのは、紫色のグリース。
「おいっ、グリースなんかじゃバルには太刀打ち出来ないぞ!」
 逃げまとう冒険者の一人が、彼に向かって叫んだ。
「解ってる、解ってるけれど、でも……!」
 彼は足を止めない。自分に言い聞かせるようにそう呟き、尚バルログに近づいてゆく。 誰かが退けなければ、街は破壊されてしまうから。
 バルログが彼に気付き、突進してくる。グリースを構え、斬りつけようとするが、剣は鎧に弾かれた。せめて、傷はついただろうか。彼は諦めない。何度も何度も、衝撃波が来れば剣と覇気で防ごうとし、魔法が来れば必死になって避ける。そして、隙を見る度に斬りつけようと突進してゆく。
 誰が見ても無謀な戦いであった。だが、誰も加勢には行かない、行けない。
 だが、尚彼は剣を振る。娘はただ、その姿を見つめていた。
 そして、突進してくるバルログに水平に斬りつけようとした瞬間。
「あっ」
 ばきっ、という鈍い音を鳴らし、グリースは幾多の破片を散らしながら、折れた。
 唐突な事で防御も取れない。バルログの突進攻撃、そしてアッパーは彼に直撃し、彼は血を吐きながら飛ばされる。
 ぐったりと倒れる彼を見下ろすように、バルログは浮いていた。そして、勝ち誇ったように爪を彼へと振り下ろす。誰もが、息をのんだ。
 弾けるように飛び出したのは、娘だった。
振り下ろされようとする刹那、彼女は彼を抱きかかえ、全身全霊を込めてバリアを張った。
 バルログの爪は、それに弾かれる。
「君……」
「誰か、聖魔の人は居ないっ?」
 娘はただ叫ぶ。その間にも、得物を目の前でお預けされたバルログは怒り狂い、バリアを破壊しようと必死に攻撃を続ける。
 だが、応える者は誰も居ない。バリアに入ったヒビはどんどん広がってゆく。
 唐突に、彼女は何かを思い出して。
「ピュッロン、クシポス、シンヴォレオ――」
 何かを呟き続ける彼女。その傍らに横たわる彼の手に、唐突に純白の剣が現れた。
 体のあげる悲鳴を無視して、気力だけで彼は立ち上がる。それが、戦士としての、彼の意地。
 娘が崩れると同時に、バリアは砕け散った。砕けた破片は霧散する。
「はあぁっ」
 雄叫びを上げ、彼は自らに突撃してくるバルログに向かい、剣を突き刺す。鈍い感触と、したたり落ちるバルログの血。バルログは引いた。そしてとてつもない唸り声を残し、街を去ってゆく。
「た、助かった?」
 傍観者達は、ざわめき始める。その中心で、彼もまた倒れた。
 頭がくらくらする、何もかも、遠く感じる。血が、足りない――。
 気付いた時には、彼はベッドの上に居た。だが、患者も、医者も、皆妖精ばかりで。
「……そうだ、あの娘は……?」
「あの娘なら、部屋の外に居ますよ」
 妖精の看護師が、彼に笑顔を向けて言った。
「は、はぁ……」
 病院の者とはいえ妖精が笑顔を向けてくるなんて、彼の持つ常識ではありえなくて。
「呼んできますね」
 そう言って部屋を出る妖精を、止める事も出来なかった。
 まだ、心の準備が出来ていない。
 だが、ノックの音はすぐに響いた。彼の返答を聞く間もなく。
「入るわよ」
 がちゃり、と扉の音が鳴り、そして開く。
「あ……」
 思わず、彼は言葉を漏らす。
 娘は、彼の顔を見ると小さく微笑んだ。
「この間は、ごめんなさい」
「あ……うん」
 今までと打って変わったような彼女の状況に、ただ彼は生返事を返すことしか出来なかった。
「これ、人間の口に合うかは解らないけど」
 ポーチから取りだして、枕元に小さくラッピングされた袋が置かれる。焼き菓子の匂いが若干彼にも感じ取れた。
「ありがとう」
 彼も、小さく笑った。
 彼女は椅子に座り、そして言った。
「紅葉の精の家系になんて、生まれたくなかった。自由を奪われたくなんて、なかったもの」
 彼は、ただ黙って聞き続ける。
「人間なんて、大嫌いだったから……だから余計に踏ん切りがつかなかった。でもね、この間襲われた時からずーっと考えた」
 日付を盗み見る。バルログ襲撃から、三日が経っていた。
「……貴方になら、協力してもいいわ」
 遠くを見つめるようなその瞳は、とても力強くて。
「ようやく踏ん切りがついた。あなたみたいな勇気のある人なら協力してもいいって、ね。怪我が治ったら、紅葉玉のところに行きましょ。契約、しなきゃいけないし」
 そう言って、彼女は再び微笑む。あまりに信じられなくて、彼は問うた。
「いいのかい、私みたいな人間なんかに協力して」
「いいの、貴方はきっと、「アガソサネール」だから」
 その顔に、影は無い。
 意味は分からなかったけれど、良い意味の言葉だと彼には感じられたから。
「そっか……ありがとう」
 だから、彼も素直に礼を言った。



   ×  ×  ×   



 街に戻ってきた時には、辺りは既に薄暗くて。
「魔力なんて全然感じないけど、いいのかなぁ、これで……」
 クレピスが、心配そうに呟いた。
「あんたでも感じられニャいか……」
「うん、全然」
「ま、あれだけ倒せば大丈夫でしょ。妖精にしか感じられないものなのかもしれないし」
「そうそう、一体どれだけ狩ったと思ってるんだ」
 二人が、クレピスを元気付けるように言った。
「……だよね」
「クレピスさんは心配性なんだから」
 横からステラが突っ込んで。
「自覚してる」
 そして再び頭を垂れた。
「……ま、まぁ逆より良いんじゃニャいかしら!」
 慌てたように、フォローを入れようとするステラ。
「ステラ、ニャ付け言葉が出てるよ」
 先輩が苦笑しつつも指摘する。
「う……つい……」
「ステラもやっぱり猫って事だニャ」
「ニヤニヤしないでって!」
 ステラは威嚇するも、彼女に威圧感は微塵もなかった。
「あははっ」
 クレピスの口から、つい笑いが零れる。
 雑貨屋に着くまでそう時間はかからなくて。先頭に立って扉を開いたのは、クレピスだった。
「戻りましたー」
「あら、おかえり」
 木箱に座り何か本のような物を読んでいたクリエルが、返事を返す。
「うん、スターフィクシのエネルギーは溜まってるわね……これなら古代魔法の祝福をかけられそうだわ」
「よかった……」
 思わず、そんな言葉がクレピスの口から突いて出る。
「じゃ、こっちに来て。貴方達とメイプルイヤリングに祝福をかけてあげる」
 促されたまま、彼らはクリエルの前へと小走りに向かう。両手で開いた本の様な物――古いノートをちら見して、クリエルは言った。
「さ、目を閉じて、リラックスして」
 レヴェンツとクレピスは互いに一瞬顔を見合わせ、そして眼を閉じた。
 クリエルはそれを確認すると、ノートをめくりながら小さく呪文、聞いたことのない言語の言葉を呟き始めた。
 不意に二人を襲ったのは、体を打つような魔力の衝動。思わず二人の口から声が漏れる。メイプルイヤリングを着けた方の耳が、熱かった。
 数分という時間が数十分にも感じられて、でもその内に耳の熱が引いた。
「もういいわよ」
 ぱたん、とノートが閉じられる音と共に、二人はゆっくりと瞳を開く。
「「それ」が生えてるからどうなることかと思ったけど、大丈夫だったみたいね」
 翼のことを言っているのは明らかで、レヴェンツは思わず愛想笑いをする。
「特に変わった事とか……ないよね?」
 眉をひそめながら、先輩は問いかけた。
「あ、あぁ……力が湧いてくるーって感じのも無いっすしね」
「うん……」
 顔を見合わせる彼らに、呆れたように言った。
「あなた達の力がまだ弱いからかもね。一応は力は発揮しているけれど、鍛錬を積めば、もっと実感できるようになると思うわ」
 そして、クリエルはふっと小さく笑う。
「彼にはかけてあげる事は出来なかったけど……彼の後継者であるあなた達にかけることが出来て、少し気が楽になったわ」
「あの……」
 クレピスが控えめに言う。
「何?」
「その、彼、って一体どういう人なんです?」
「あなた達何も知らないのっ?」
 想定外だったのか、クリエルは目を見開いて答える。
「えぇ……世界中を旅していて弟子も沢山居たって事と、昔オルビスを襲ったバルログを撃退したと言う事。後は……」
「妖精族の女の人とよく一緒に居たって言ってたニャ」
「ああ、そう言えば」
「イヤリングを渡した時だけ居なかったって言ってた、か?」
「……成る程ね」
 クリエルはノートをぽんと棚の上に置き、手を顎に当て何かを考えるような仕草をする。
「私の知っている範囲でいいなら話してあげようか?」
「是非頼むっすよ!」
「えぇ、お願いします」
「あ、自分も聞きたいです」
「はいはい、分かったわ。とりあえずその辺に座って頂戴」
 口々に話を請う彼らに、クリエルは言った。
「えーっと、何処から話そうかしら……彼がオルビスに来た経緯からかしら」
 独り言のような呟きから、クリエルの話は始まった。



   ×  ×  ×   



 本気なの、とその時彼女は問うた。
 私は本気さ、とその時彼は答えた。
「しかし、妖精と人間の結婚なんて珍しいですね」
 穏やかに、初老の教会のシスターはそう言った。
「ええ、全く」
 彼もまた、笑みを返す。
 彼の体は既にまともに動く状態ではなく、シスターに支えられてやっと歩ける程であった。
「異種族間の結婚自体は私がこの教会に居る間にも何度かありましたが、いやはや、しかし妖精と人間、という組み合わせは貴方方が初めてですね」
「解ります」
 その言葉に悪意が無いのは解っていたから、だから彼は純粋な笑みを浮かべる。
 彼の白いタキシード姿はとても不似合いで、サイズはぴったりな筈なのだが、体の収まりが悪く感じてしまう。普段強靱な黒いゼネラルを着ていた彼には、仕方がないのかも知れない。
 ただ、彼はシスターに支えられて大廊下を歩き続ける。暖かい光が差す中で、僅かながらもクラシック音楽が流れていて。でも、その空気さえも偽りのように感じる程、彼の感覚器官はもう麻痺していて。
 やがて、彼は大きな門を潜る。
 その先にいたのは、ステンドグラスをバックに立つ彼女であった。
 上品ながらも美しく輝くステンドグラス。
 その髪の輝き。
 ドレスとベールの白さ。
 そして、彼女のあの笑顔。
 彼が見たのは、透明な膜を通して見た世界ではなく、昔見ていた明晰な世界そのものであった。それはあまりに美しく……力の抜けた彼は崩れそうになった。
「あっ――」
 思わず、彼女は彼の名を呼び、駆け寄る。
「大丈夫……だよ」
 力なく彼は笑って、彼女もつられるように小さく笑った。
「さぁ……クリエル達が来る前に定位置でスタンバイしないと……」
「貴方がそれを言うのはどうかと思うわ」
 彼女の指が彼の額をつっついて。
「さ、行きましょ」
 シスターに代わって、彼女は彼の体を支える。
 ゆっくり、ゆっくりと二人はステンドグラスの前へと歩みを進める。ただ、残された時間を噛み締めるように。
 やがて、二人はステンドグラスの前に辿り着く。教皇と共にステンドグラスの前に立っていたシスターが椅子を差し出し、彼はそれに座る。
「……ね、これが終わったら……次の「英雄」が見つかるまで、私が紅葉を守る、でいいんだよね」
 彼は答えない。ただ、儚く笑うだけで。
「負い目を、感じてるの?」
 彼は、小さく頷いた。
 彼女から漏れるのは、わざとらしいため息。
「もうっ、二人で話し合って決めた事でしょう? それに、言い出しっぺは私なんだし」
「すまない」
 彼の表情は変わらなかった。
 やがて、一人、二人と、彼らの頭上に広がる客席へとやって来る。その十人程の全てが、彼と彼女の共通の妖精の友人であった。
 こほん、という教皇の咳が始まりの合図で。
「ただいまより、新郎新婦の結婚式を執り行います」
 客席から、人数相応の大きさの拍手が起こる。その拍手が止んで、教皇の説教が始まった。
「神様が授けてくださった運命というものは、リボンピグの赤いリボンで繋がっていると言われています。私から見て、この二人はそのリボンの端に居る相手をそれぞれ見つける事が出来たようです。……」
「ピグ、ねぇ……」
 何時の間にか、彼は再びあの純真な笑みを浮かべていた。
「今まで、パートナーとして、手を取り、協力し合い、数々の困難を乗りこえてこられたと思います」
 不意に、彼は彼女の手を握る。
「二人は共に協力し合い、重荷を分かち合って如何なる困難をも乗り越えて下さい」
 彼女は、いつもよりも力強く彼の手を握り返した。
 一息置いて、教皇は問うた。
「新郎、髪がイエティのように白くなっても、新婦を愛することを誓うか」
 ――君の髪が白くなるまで、私は生きることは出来ないけれど。
「新婦、エルナス山の万年雪が全て解け、ニハル砂漠のようになるまで新郎を愛することを誓うか」
 ――貴方の髪が無くなるまで、貴方の命は続かないかもしれないけれど。
「はい」
「私たちは、誓います」
 それは壊れ物のような笑顔で。
「では、指輪の交換」
 何処からともなく小さな男の子と女の子が出てきて、彼に指輪を差し出す。ありがとう、と小さく言って、彼らはそれを受け取った。
 それは、一カラットの簡素な指輪で。けれど、ステンドグラスからの光を反射したそれは、誰の物よりも輝いていた。
 まず、彼は差し出された彼女の指に、ゆっくりと指輪をつける。
 照れくさそうに彼女は笑って、言った。
「ありがとう、次は貴方の方ね」
 微かに震えるその指に、白い指で丁寧に彼女は指輪を通す。指輪が通ったその手を、彼女は両手で包み込むように握りしめた。
 その姿は、まるで忠誠を誓う女騎士と先の長くない王のようで。それを見つめる誰もが、息を飲んだ。
「皆様がお二人の二人の近いの証人になり、見守ってください。……では、新郎は神父に近いのキスを」
 彼女は、彼に顔を近づける。
 その誓いの寸前に、彼女は心の中で小さく呟いた。
 ――ごめんなさい。



   ×  ×  ×   



 夜も更けた頃、普段よりも少し高級な宿の個室で、レヴェンツ、そして先輩とクレピスは別れて眠っていた。
「……うっ!」
 唐突に、クレピスは起きあがった。息も切れ切れで、冷や汗も若干かいている。
「気のせい……いや、違う……」
 酷い悪寒が、彼女の全身を駆け巡る。
「……どうしたニャ?」
 彼女の声で目を覚ましたのか、シオンが眠そうに問うた。
「ううん……何でも無い」
 そう言った途端、彼女は、あっ、と声を漏らし、ベッドから飛び降りる。
「ちょっと、何処行くニャ!」
 クレピスの返事は無い。ただ、扉を乱暴に開き、外へと駆け出す。
「これはまずいニャ……!」
 シオンは先輩のベッドへと飛び移り、猫パンチを喰らわせる。
「ったぁ……何、ステラ」
 眉間に皺を寄せ、眠そうに先輩はいたく。
「ステラじゃなくてシオンニャ!それより、レヴェンツ起こして、早く!」
 そう言うや否や、シオンもまたベッドから飛び降り、クレピスの後を追った。
「……嫌な予感がするニャ」
 寝ぼけながらもステラは、先輩を見つめて言う。そして、早口で捲し立てるように。
「クレピスさん、多分幽霊か何か追いかけてるのよ」
「幽霊?」
「時々あるの。あたしがレヴェンツ君に預けられてる時にも何度もあったから」
「そうか……あの子霊感あるから……」
 先輩は無理矢理体を起こす。そして自らの金剛杵を握りしめると同時に、クレピスの置いて行ったゲッタも掴む。そして、レヴェンツを起こすべく部屋を出た。
 一方、宿を出たクレピスはただ走る。
「ねぇっ……聞きたいことがあるのっ!」
 彼女の前を高速で走るのは、あの純白の剣を持った戦士。
 やがて二人は街を飛び出す。モンスター達も眠っているようで、姿は見えない。
「お願い……待ってっ!」
 だが、戦士は走り続ける。
 ガウンのポケットで話しかける声には全く気付かず、彼女は戦士に叫び続ける。
「貴方、本当は――」
 そう言いかけた刹那、彼女の体は足場から落下する。その様子を、空の上から彼は見つめ続けていた。
 全くの無防備で落ちた訳ではないが、しっかりした受け身は取りきれず、クレピスは無様に下へ着地した。
「ったぁ……」
 ゆっくりと立ち上がろうとする彼女。だが、もう少しで立てそうな時に、何かが顔面に落ちてきた。その落下物はがすように離して。
「……シオン!」
「全く、世話が焼ける飼い主だニャ」
 呆れたように、シオンは言った。
「ごめん……それより、彼は? もう居ない?」
「彼って……また幽霊でも見てたのかニャ?」
 シオンを抱き抱え、地に座り込んで彼女は言った。
「うん。ただ……あの純白の剣を持った、戦士さんだった」
「戦士さんって……紅葉玉を訪ねた時にオルビスで会った、あの伝言頼んだっていう戦士?」
 クレピスは、無言で頷く。
「成る程ニャ……」
『聞こえるかっ?』
 シオンの声と重なるように、彼女のポケットからレヴェンツの声がした。その声を発する通信機器を引っ張り出して、クレピスは応える。
「うん……」
『馬鹿野郎! だから知らないもんには着いて行くなとあれ程……』
「ごめん……でも、聞いて」
『なんだよ』
 一瞬深呼吸をして、彼女はそれを口にした。
「あの、伝言頼んだ戦士さん居たじゃない……?」
『あ、あぁ、あのでかい剣持った……』
「あの戦士さん、幽霊だった」
 一瞬の沈黙の後。
『な……嘘だろっ! だってカニングで会ったときもオルビスで見たときも、俺にも普通に見えて居たじゃねーか』
 レヴェンツの声は驚きに満ちていて。
 それを遮るように、先輩の声が聞こえた。
『とにかく、今何処?』
 その言葉に促され、クレピスは辺りを見回す。だが……。
「此処、何処……?」
 膝の上に居たシオンは、ただ溜息。
「とりあえず、オルビスの東の門を潜った先ニャ……ん?」
 不意に、シオンは右側を見つめる。
『どうした?』
「家が一件あるニャ」
『家だと?』
『シオン君が寝ぼけてただけで、街の外じゃなくて中を走り回ってたとかじゃないの?』
「それは無いニャ!」
「うん、街頭が無いからそれは無いと思う」
 クレピスも何とかフォローを入れる。
『……とりあえず、戻ってこれるか?』
 レヴェンツの問いに、一人と一匹は顔を見合わせる。クレピスは小さく首を振って、答えた。
「ちょっと、無理かな……着ているのはガウンだし、護身用のドルコダガーしか持ってないし……」
『ドルコじゃ護身用にはならないだろ……』
 思わずレヴェンツは突っ込んで。
『しゃーねぇなぁ。……先輩、郊外にある家、何処か知りませんか?』
 機器越しに聞こえるのは、先輩のうなり声。
『そりゃ馬鹿みたいにあるから、ちょっと無理かな』
「うーん、何か目印になる物……あ」
 家屋の方を見ていたクレピス、そしてシオンが声を漏らす。
『どうした、今度は何見つけたんだ?』
 だが、レヴェンツの問いに答えは返ってこない。
 機器のマイクが拾ったのは、見知らぬ声だった。
「あら、こんばんは」
 それは、黒髪の少女であった。顔はオルビスやエルナスに多い系統で、だが彼女には翼は生えていなかった。
 突如出現した少女に、驚きを隠せない様子でクレピスは言った。
「あ、こんばんは……」
 その返答を聞くと、少女はくすりと笑った。そして。
「どうぞ、スピルナ様がお待ちしております」
 扉を開き、中に入るように促す少女。不意に、クレピスの手の中の機器が、先輩の声を発した。
『オルビス郊外のスピルナ……あっ!』
『先輩知ってるんすか?』
 早口でレヴェンツが問う。
『あ、うん……噂には聞いたことがある、うろ覚えだけど』
「あら、会話中でしたか」
 申し訳なさそうに少女は言う。
『とりあえず、其処なら迎えに行ける。ヘイストかけて数十分って所かな……待てる?』
「……あっ、はい」
 どちらに答えたとも断定し難いが、クレピスは言った。
『とりあえず、家の中に入って待っていたら?……何かあってもドルコでも護身用にはなるでしょ』
 最後は小声に、先輩は言う。はい、と小さく呟いて、今度は少女の方を向いて言った。
「えっと、じゃあ、仲間が迎えに来るまで待たせて頂いてもいいですか?」
「いいですよ。さぁどうぞ」
「ありがとうございます」
 クレピスは立ち上がり、シオンも膝から飛び降りる。そして、少女へと近づいて家屋の中を除いた瞬間。彼女は思わず硬直した。
 正面には、占い台に座る老婆。光源は老婆の持つ朱い水晶のみ。
 少女はクレピスの側から、老婆スピルナの側へと小走りに移動する。
 ただじっと彼らを見つめるクレピスに、不気味な笑みを浮かべてスピルナは言った。
「そろそろ来ると思った……ん?」
 老婆は、眉をひそめてクレピスを凝視する。
「どうしました、スピルナ様?」
 不安そうに、少女が声をかける。
「力が、半分……?小童、メイプルイヤリングの正式な持ち主では無いのか?」
 あ、と小さく声を漏らし、クリエルにしたそれと同じように、クレピスは説明をした。
 それを聞き終えると、スピルナはくつくつと笑い出した。
「成る程のう、そういう事か……」
「ど、どうかしましたか……?」
 何時の間にか、クレピスはスピルナと向かい合う形で椅子に座っている。
「いや……な。で、そのもう片側ってのはもうすぐ来るのかい?」
「ええ、多分もうすぐ来るかと……」
 実際、レヴェンツ達が着いたのは、その十分程後であった。
 恐る恐ると言った様子で扉を開いた二人と一匹は、クレピスを見た瞬間、安堵の表情を浮かべた。
「どうも、クレピスがお世話になりました。この二人の先輩みたいな人間です」
「どうも」
 と笑みを浮かべて返したのは少女の方で、スピルナは相変わらず不敵な笑みを浮かべるのみであった。
 少女がちょこちょこと二人分の椅子を出し、そして再びスピルナの横へと立つ。この間は誰も口を開かなくて、酷く張りつめたような空気が流れていた。
「さて……」
 切り出したのは、スピルナ。
「確かに、二人で一つを継承している見たいだね……。メイプルイヤリングの持ち主、けれどまだまだ足りない持ち主……」
 三人と二匹は、ただ無言で聞き続ける。
「赤髪の妖精にイヤリングへは古代魔法をかけてもらったらしいが……しかし、まだ足りない……」
 じろり、とスピルナはレヴェンツとクレピスを睨み、言った。
「小童どもの能力が足りない、メイプルイヤリングもその位の力のみ見せるのだな」
「た、確かに「英雄」って実感も無いし、そういう素質なんてのも持ってる自信なんて無いしな……」
「そうさ、だが……」
 指を組んだ手を目へと押しあてて黙った後、僅かに手を離し、スピルナは言った。
「小童どもが小童ども自身の能力を証するならば……メイプルイヤリングの隠された力を引きずり出してあげるよ。どうだい、出来るかい?」
「それは、例えば、どんな……」
「そうだね……ルイネルを三十体程でどうかい?」
「またモンスター退治ニャ……」
「ルイネル、ですか……」
 不安そうに、クレピスは言う。当然だ。レベルが九十代であるレヴェンツや先輩ならともかく、彼女はまだ六十代。それも、ネタ職と言われる部類。
 けど、やるしかない。そう、彼女は誰にも聞こえないように呟く。クリエルから彼らの話を聞いた後なら、尚更。
「やはり古代魔法の一種だからね。ルイネルのエネルギーが充満してないと引きずり出すことは出来ないんだよ。……止めるかい?」
「いえ、やります」
 力強く、クレピスは言う。
 それを聞いて、スピネルはしゃがれた声で愉快そうに笑う。
「そうかい。じゃあ、待っておるよ。……だが、ある程度の体力は必要だから、今日はもうお帰り。小娘の方は寝巻きのままみたいじゃしな」
 思わず、クレピスは苦笑いをした。



   ×  ×  ×   



 宿の洗面所で、ただ彼は咳を続ける。空気と共に吐くのは、血。
「ハァッ……またか……!」
 吐血が収まると、彼は血をぬぐい、そして洗う。
「教えられる訳が、無いじゃないか……」
 その愛する人の顔を歪ませたくなくて。
 顔面を縦断するように残った傷跡が疼く。思わず、彼は左手でそれを押さえた。
 街の外れに住む老婆に言われたことを、彼は思い出す。
 ――紅葉の力は、人間であるお前には強すぎる。このままだと、いずれ力に飲み込まれるよ。
「この事……だったんだな」
 あの時受けたバルログの邪気もまた、彼の体を蝕んでいた。でも、そんなことはとっくの昔に気付いていて。
「どうしたの、調子でも悪い?」
 思考を遮ったのは、扉越しの愛するその人の言葉だった。
 ふぅ、と深呼吸をして、彼は応える。
「大丈夫、ちょっとむせただけだよ」
「そう……ならいいけど……」
 不安そうにそう言って、彼女は扉を離れていった。
 一度せき込んで、彼は呟く。
「私はやはり、アガソサネールにはなれないよ……」
 今の嘘は、エゴだから。
 そして、運命に抗えないのは、彼女の望みを叶えてあげられないという事だから――。



   ×  ×  ×   



「やっぱ、ダブルズタブじゃ無理があったって……」
 目に涙を浮かべながら、ぼろぼろのクレピスは呟く。
「ま、まぁ……ノルマは達成出来たからいいじゃニャい!」
「そうそう、終わりよければ全てよしって言うじゃないの」
 二匹の猫が慰める中、クレピスの横を歩く先輩もまたげっそりした顔をしていた。
「自分、もう先輩って呼ばれる資格なんて無いと思うんだよね……」
「まあまあ、仕方ないっすよ。先輩は本当に独学で其処までのレベルになったんですから」
 必死にフォローするレヴェンツ。結局多少きつくとも普通にルイネルを倒すことが出来たのはレヴェンツだけで、後の二人は何度も危ない状態に陥っていた。
「しかし……凄い鮮やかな色だニャ。まるで血の――」
「それはわざと言ってるの、シオン君?」
 空はもう真っ赤な夕焼けであった。
 とぼとぼと歩き、やがてスピルナの家へとたどり着いた彼らは、ゆっくりとその扉を開いた。
「えぇっと、戻りましたー……」
 水晶玉から目を離し、家へと入ってくる彼らを、スピルナは見つめる。
「……うむ、それなら魔法をかけてもよさそうだ」
 思わず、クレピスの顔から安堵の表情がこぼれる。
「大変でしたでしょう、あのルイネルですから」
 スピルナの側で、労うように少女は言った。
「えぇ、確かに……」
 クレピスは思わず、苦笑い。
「とりあえず、こっちへ来な」
 にやりと笑ってスピルナは促す。ゆっくりと、彼らはスピルナへと近づいた。
「さ、その椅子に座って心を静めな。言っておくが、赤髪の妖精のものよりは厳しいものだよ」
「……はい」
 真剣な面持ちで、レヴェンツは答える。
「じゃ、いくよ」
 スピルナがそう宣言した刹那、二人の体に魔力の波動が襲いかかる。喉元を掴み耐えるレヴェンツ。眼を閉じ歯を食いしばるクレピス。衝撃はクリエルのかけた祝福の数倍は強いものであった。
 だから、その衝撃が収まった時、二人は椅子から崩れ落ちた。
「ちょ、ちょっと……大丈夫っ?」
 ずっと立って見つめていた先輩が、思わず二人に声をかける。
「だ、大丈夫っす……多分」
 力なく、手を挙げるレヴェンツ。クレピスに至ってはルイネル狩りのダメージも響き、唸りながらぐったりと倒れていた。
「ま、これぐらいのリスクを冒しても、本当は小童達にはこれをかける必要があったんだけどね」
 ひひひ、とスピルナは笑う。
「どういう事ニャ?」
「英雄が、彼まではずっと妖精族だった、ってのは知っているかい?」
「それは知ってるニャ」
「……妖精族がやっと抱え込める力を、唯の人間が抱え込めると思っているのかい?」
「「……あっ」」
 ステラと先輩、加えてシオンは、声を揃える。
 スピルナは尚も笑って。
「理解したようだね。勿論力をつければメイプルイヤリングはそれだけ力を発揮するが、それ以前に人間が「英雄」となるには、力の底上げ、そしてイヤリングの魔力を調節する為の祝福が必要なのさ」
「成る程、そう言うことですか……」
 あ、と唐突に少女が声を漏らす。倒れ込んだ二人から、何かを追うように、少女の視線はドアの方へと移動する。
「おやおや」
 スピルナもまたそれを見て、言った。
「詳しいことは、扉の向こうに居る者が教えてくれるさ」
「ニャ?」
「……レヴェンツ、クレピス、立てる?」
「は、はい……何とか収まってきました」
「俺も、何とか……」
 ゆっくりと二人は立ち上がる。そして、クレピスもまた喫驚の声を漏らす。
 限界まで消耗したその体を無理矢理動かすように、彼女は飛び込むように扉へと向かい、そして乱暴に開いた。
「あ……」
「どうしたんだ?」
 二人と二匹もまた、クレピスに扉から外へ出る。扉が閉まる刹那、スピルナと少女が笑っている声が聞こえた。
「貴方……」
 其処に立っていたのは、あの戦士と、眩い輝きを纏った見知らぬ妖精族の娘であった。
「貴方達、もしかして――」
「あぁ、確かに私は前の「英雄」だった。……黙っていて、すまなかった」
「っつー事は、その娘さんはもしや「紅葉の精」?」
「ええ」
 「彼」と「彼女」は、ただ笑う。
「もしかして、昨日クレピスの前に現れたのって、ここに誘導する為だったのニャ?」
 クレピスの足下で、シオンが問う。
「ああ……申し訳なかった。あの時間でないと無関係な住民なんかも来てしまうかも知れなかったから。それに……どうしてもここに導かなければ、私の二の舞になってしまう可能性があった」
「スピルナさんが言ってた……」
 彼は、弱々しく頷く。
「ここまで私達の為に行動してくれた貴方達の中の、物語の最後のピースを埋めなくてはいけないわね」
「ああ、そうだね」
「……聞かせてください、その、最後のピースを」
 レヴェンツとクレピスは、ふらふらと柱の本へと座り込む。
「私が彼に心を開いた経緯、結婚に至る経緯は聞いていたわよね」
 無言で、彼らは頷く。
 彼が、言葉を紡いだ。
「式の後、私は彼女に頼んだんだよ。もう少しの時間だけでいい、ただ弟子達の居る街ををもう一度廻る間だけ、元の正常な状態でいられるよう力を貸してくれ、と」
 その言葉は自嘲気味で。
「式の前に、私たちは一つ約束をしていたんだ。式が終わったら、彼女が紅葉を庇護して、次の英雄が見つかるまで弟子の一人に預けておく、と」
「その弟子が、クン氏……」
「そうさ、彼のお願いも聞くことが出来たし、あの街は始まりの街だから」
 最も、と彼は付け加える。
「彼には何も言わなかったから、イヤリングの形をしていなかったことには不満を言われたけどね」
 不意に、気まずそうに彼女は口を開いた。
「私……彼に言わずに力を共有する契約を結んでいて……だから、彼は今まで存在し続けられたし、普通の浮遊霊よりはいくらか自由が利いたの」
「成る程な……」
 レヴェンツが小さく頷く。
「まぁ、私も彼女がそんな契約を結んでいたと知ったのは、死んでからなんだがね」
「魂はより純粋な霊体だから……」
 そう呟くのは、クレピス。
 力強く頷いて、彼は続ける。
「結局、なんだかんだ言って私は自分のエゴを通したかったんだろうね……彼女と再び一緒に居たい、くいは残したくない――だから、君たちにこんな面倒な事を押しつけてしまった。本当に、すまないと思っている……」
「あぁ、いやそれは気にする事無いっすよ!」
「そうですよ。エゴの無い人間なんてそれは人形と同じじゃないですか」
 レヴェンツ、そして先輩が反論する。
「人形、か……ありがとう」
 そう言って、彼はまた笑った。
「愛する人と一緒に居たい、っていうのは……やっぱり、本能のようなものだと思うし、仕方がないと思うんです。少なくとも、僕は」
「うん、そうかもしれないわね。……だって、私が彼だったとしても、きっと同じ事をしていた気がする」
 ふぅ、と彼は息を吐くように。
「では、私たちは行くよ。これから彼女と、失った時間を取り戻すつもりさ」
 あ、と彼は不意に言葉を漏らす。
「一つ、肝心な事を忘れていたよ」
「肝心な事って……何すか?」
 彼はただ無言で二人へと近づいていく。そしてしゃがみ込むと、その純白の大きな剣を立て、彼らへと差し出す。
 反射的に、二人はその鞘に手を伸ばした。
 その鞘を掴んだ瞬間、その剣は眩い光を放つ。思わず彼らは目を閉じる。剣の鞘が二つに分断されるのが、感覚から二人には分かった。
 ゆっくりと目を開くと、彼らの手がそれぞれ握っていたのは、二種類の短剣。それを見て、彼は呟いた。
「成る程……二人で一人、か」
 レヴェンツの手にはクロー型の短剣。クレピスの手にはダガー型の短剣。やがてその二つの短剣は光を放ち、彼らの手から消えていった。
「本当に必要な時に念ずれば、現れるはずさ」
「は、はい……」
 そう返したのは、呆然とした様子のクレピス。
「では、今度こそ私たちは行くよ。……本当にありがとう」
 彼女の方へと歩き、レヴェンツ達に背を向けたままの状態で、彼、そして彼女は振り返って言う。
 彼女が笑みを浮かべて、言った。
「本当に……ありがとう。貴方達こそ、「アガソサネール」よ」
 誰かが言葉を発する前に、彼は彼女をマントで包むように抱き、そして姿を消した。



   ×  ×  ×   



 暖かい風が吹いていた。
 オルビスの街の最下層にある、妖精達の墓場。その片隅に植えられた紅葉の木の下に、「彼」の墓は在った。
 其処にやってきた彼らは、「彼女」の友人の描いた地図の、そのまた下に書き殴られた文字と、墓標に刻まれた妖精族の古代文字を見比べる。二人の間に首を突っ込むような形で、先輩はそれを見て呟いた。
「成る程……「優しい人」ねぇ……」
「「彼」は、きっと自分に満足出来なかったんだろうな」
 墓標に視点を移し、レヴェンツは呟く。その傍らでクレピスが、口を閉ざしたままで花束を墓標へと置いた。
 そして、ただ彼らは黙祷を捧げる。
 その沈黙の後で。
「あの人達……成仏出来たのかニャ」
 シオンが言った。
「きっと――」
 飼い主の肩の上で、応えるようにステラは口を開く。
「ああ言ってたから、成仏はしてないんじゃないかしら。ただ、あの二人にはそれがベストな結末だと思う」
「どうしてニャ?」
「……だって、もう離れ離れにならなくていいじゃない」
 そう口を挟んだのはクレピスで、彼女は静かに笑みを浮かべた。
「僕たちが彼らに出来ることは、「英雄」に相応しくなるように努力する事だと思う。今の僕たちじゃイヤリングと武器に相応しくは無いし……そうでしょ、レヴェンツ」
「ああ、そうだな」
 彼は腕を組んで、小さく頷く。墓標、そして紅葉と空を見上げた後。
「……行こう」
「うん」
 彼らは墓標に背を向けて歩き出す。
 墓標を抱えるように凛と立つ紅葉の枝が、小さく揺れた。



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2007.11.4up


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