Invidia  − 嫉妬 / 2つ目の物語 −

 カウントダウンの後、審判が黄色いホイッスルを吹いた。
 場を割くような笛の音が、場内に響き渡る。
「勝者、青チーム!」
 一際大きな歓声が、その言葉の後に湧き上がった
 此処はルダスレークに設立された、「モンスター・カーニバル」と呼ばれる競技のスタジアムであった。モンスター・カーニバルの歴史は僅か数年。一時のブームに終わるか、定番競技として根ざしていくのか、大事な時期である。
 このモンスター・カーニバル、一見単純に見えて複雑な競技であった。
 勝敗の決定は単純である。競技用のモンスターを戦闘不能にすれば、そのモンスターに対応したポイントがチームに加算される。その総ポイントを二つのチームで競うのだ。
 しかし、ポイントは使うことも出来るらしい。総ポイントには一切響かない形で、ポイントを得た者はそれを駆使し、相手を妨害することも出来るらしい。システムに特殊なスキルを持った者が一枚噛んでいるのか、それとももっと別の技術なのか、それは定かではないのだが。とにかく、その「ポイント使用」がこの競技を複雑且つ熱狂的にしているのは、移り変わる場に熱狂する観客を見るに、明らかであった。
 大勢の観客の中、吟遊詩人ミデンもまた、その試合を観覧していた。歴史の浅さ故、彼が試合を観覧したのは初めてであったが、恐らくこの競技は地方に根ざしてゆくであろう、と彼は思っていた。
 だが、その心中は複雑である。
 競技用モンスタ――あれは恐らく、飼い慣らされた生身のモンスターだろう。生身、とは言ってもルディブリアムのモンスターは機械仕掛けの者が殆どである。観客の大半である人間族にとっては「生物」としての感覚は薄いのかもしれない。
 スポーツと言うよりはむしろ、かつて読んだ「コロッセオの剣闘士競技」の物語を彷彿とさせた。剣闘士には捕虜や奴隷が多く、「ルディ」と呼ばれる養成所で過酷な訓練を受けるという。
 今居るこの都市の名は「ルディブリアム」といった。恐らくは「玩具」を示す古語の一つから取られたのであろう。だが、目前に広がる光景にその名は、皮肉としか思えない。
 ……しかし、そう感じるのは、恐らくミデンが「人」よりも「モンスター」に近い存在だからであろう。
 微笑みは、ちゃんと貼り付けられているだろうか。
 少し不安になりながら、ミデンはフィールドを見遣った。
 赤と青の腕章を付けた選手がそれぞれ6人ずつ。どちらのチームも手慣れているらしく、余韻に浸るのも、悔しがるのも、そろそろ終わりといったところか。
 しかし。
「……あれは」
 聖職者の勘か、モンスターの勘か。何れにせよ、とても、嫌な予感がする。
 人混みを縫うように、ミデンはフィールドへ向かって駆け出した。





 彼が見たのは、青い腕章をした少年であった。銀の篭手を付け、黒くシャープな手裏剣を持つ彼は、アサシンで間違いない。
 少年は俯き、無言で場に立ちつくしていた。試合に勝ったにも関わらず、だ。
「げほっ、げほっ」
 急に咳き込む声。うずくまる少年。
 何が起きたのかはまだミデンには解らないが、少なくとも良くない事が起きたのは確かであった。
 観客席とフィールドを隔てる壁をすり抜けるべく、彼はテレポートを使用しようとした。
 しかし、テレポートは発動しない。
 壁にぶつかりかける間際、何とかミデンは足を止めた。
「乱入防止に、シールでも張られているのでしょうか」
 おかしな話ではないだろう。モンスターの脱走防止も兼ねているのかも知れない。
「其の場を護るマナの壁よ、束の間の綻びを造り給え、ディスペル」
 小声且つ早口に唱えられたそれは、さほど強い効力は持たないだろう。だが、壁抜けを行う為ならば十分だ。むしろ、完全に破壊してしまっては不都合である。
 振動を伴わない音が、ミデンの耳に届いた。マナの壁がひび割れる音である。やはり、張られた魔法はシールであったようだ。
 壁を越えた彼は、ようやく少年の状況を理解した。
 少年が黒いエネルギーを纏っているのが、彼の眼には見えたからだ。
 周囲には、心配して駆け寄ったらしい選手達と、少年を介抱する一人の少女。少年と同じ青の腕章をした彼女の側には兜と一本のナカマキが転がっていた。恐らく、彼女の物だろう。
「グロー、返事して! グロー!」
 少女が叫ぶその名が、あの少年の名だろうか。
 救護の聖魔と思しき魔法使い達が駆け寄るのを見て、とっさにミデンは叫んだ。
「彼から離れてください!」
 突然の乱入者に、フィールドの者達の動きが一瞬止まった。
 間髪開けず、ミデンは言った。
「プリーストの魔力は、恐らく彼には毒になります!」
「誰ですか、あなた!」
 魔法使いの一人が問いかけた。
「どうやってこの場所へ!」
「通りすがりの旅人です。緊急を要すように感じましたので、大変申し訳ありませんが「壁」はディスペルで一時解除させていただきました。最も、もう塞がっていると思われますが」
 少年の症状に心当たりはあった。それが正しければ、治癒の魔法である筈のヒールやディスペルは、逆に彼を苦しめることになる。
「毒になる、ってどういう事?」
 問うたのは、戦士の少女であった。
「恐らく、彼は……」
 回りくどい事を言っている状況ではない。単刀直入に、ミデンは切り出した。
「――属性中毒、かと思われます」
「な……属性中毒は魔法使いやクルセの症状ではないですか! 三次弓ならまだしも、アサシンに属性スキル自体――」
「それが現に起きているのです」
 そう言うや否や、ミデンは竪琴をことりと置いた。
 彼の竪琴は、聖魔法用の魔力媒体であった。プリーストでありながら体内に聖属性を備えていない――「人」でないが故の体質が、まさかこんなところで役に立とうとは。
 ミデンは少女とは逆の位置で背を屈め、口元を抑えた少年の左手を静かに剥がした。
「やはり……」
 その手に付着していたのは、吐瀉物でも血でも無く、しかし血に似た黒い物体であった。
 それが意味する物を、周囲の魔法使い達も理解したらしい。彼らは一様に口を閉じ、目配せあっていた。
 彼の吐き出す物体は、黒、即ち闇属性が物体化したものだ。属性中毒の症状の一つである。
 さて、恐らく己以外誰も認識できていない、この黒いオーラ。長引けば少年だけではなく、付き添う彼女にまで悪影響を及ぼすだろう。事態は急を要する。
 属性中毒の一時的な緩和には、同じ属性の魔法にマジックドレインを乗せ、暴走したマナを吸い出すという手段が主に取られる。しかし、闇属性を操れる汎用魔法使い職は存在しない。そして患者は恐らく盗賊、魔力に対する抵抗力は、魔法使いやクルセイダーのそれとは比べものにならない程低い筈。
 導き出される答えは一つ――ドレインの、アクティブ使用。
 ドレイン自体は無属性であるが、本来はパッシブスキルであり単独で使用出来るスキルではない。ミデンならば詠唱を用いれば可能であるが、威力を調整しないと危険を及ぼしかねない。
 しかし、やるしかない。
「彼の許容量に至るまで、マナよ我に移り給え……アクティブ・マジックドレイン」
 少年を抱きかかえる形で、「箔」の付け方に細心の注意を払い彼は唱えた。
 移入するマナは、己のものにとてもよく似たマナであった。吸収する度に不安になるような、不安定な揺れ方をするエネルギー。
 吸いすぎてはならない。息を合わせ、出来る限り自然な形でのドレインを試みる。
 やがて、だ。
 少年の呼吸は次第に穏やかになり、寝息にも似た息づかいへと移り変わった。
 だが、少年の意識はない。
「……応急処置は行いました。ひとまず、彼を安静出来る場所へ」
 マジックドレインを止め、ミデンは静かにそう告げた。
 根本的な対処は出来ていないが、これ以上の吸収は少年への負担が大きい。それに、場所も場所である。
「選手を医務室へ!」
「担架を!」
 動き出した場の中で、戦士の少女はミデンに問うた。
「あなたは……?」
「私は……偶々この場にいた吟遊詩人ですよ」
 ようやく彼に、笑みを浮かべる余裕が生まれた。





「恐ろしい知識ですね」
 初老の医師はカルテを脇に置き、怪訝そうにそう言った。
「型通りの対処では、あの程度では済まなかったでしょう。いえ……私としてはむしろ――」
 それは医師と言うよりも、探求者としての眼であった。
「貴方が本当に、プリーストなのかが気になる」
「……そうですね、体質が少し特殊なだけですよ」
「それはそれは、興味深い」
 特殊な体質を持った「人」など幾らでもいる、とはいえ、長引かれては面倒な話題でもある。
「それよりも、グローさんの容体は如何ですか?」
「そうですねえ……あまり部外者にお教えするのもどうかと思いますが、応急処置を施してくれたということでお教えしておきますと」
 医師の顔に、更に皺が増える。
「……あまり、よくはない」
「やはり、ですか」
「暴走の恐れは今のところありませんが、しかし「呑まれて」しまっている」
「根本的な解決法を見出さねば、ずっとあのままということですね……」
 血色悪く、ただ眠り続けるのみだということか。
「恐らくは……」
 医師は深く溜息をついた。
「正直なところ、盗賊の属性中毒というのは知識として備えていますが、その症例を見たのは初めてなのです。だから、不躾ながら……知識のあるミデンさんの力を借りたい」
「私の知識も独学で、医師の方々には遙かに劣ります。それでも、私に何か出来ることがあるならば遠慮なさらずに仰って下さい。暫くはルディに滞在しておりますので」
「お願いします」
 医師が小さく頭を下げ、それに釣られてミデンもまた頭を下げた。話はここまで、ということだ。
 ……診察室の扉を、ミデンはぱたんと閉めた。
 此処はモンスター・カーニバルギルドの一つ、「マーメルス」の建造物内であった。しかし、その広さは主とする競技の歴史とはあまりにも不釣り合いだ。元々は別の目的で建てられた建築物なのかもしれない。
 ――キャラクタークラスとしての職業は、「ノービス」と呼ばれる者が賢者達より力を授かる事により「転職」する事が出来る。与えられるのは漠然とした「力」であるが、大抵の場合、それは完全な「無属性」ではないという。
 一説によると、盗賊の力は「闇」の属性を帯びているらしい。とは言っても、泉に一滴墨を落としたような極々薄い濃度。しかし恐らく、彼の中の属性が増幅された結果、今回中毒に陥ったのだろう。複数の属性に中てられた一次魔法使いや、「氷」ではなく「風」の属性中毒に陥ったスナイパーの話などは聞いたことがある。
 しかし何故、あそこまで増幅された……?
 伏し目がちにミデンは歩み出そうとした。が、一歩を踏み出したところでその動きを止める。
 あの場でグローの隣にいた少女が、斜め向かいのソファーに座っている事に気付いたからだ。兜を被ってはいたが、あれは間違いなくあの少女である。
 反射的に、ミデンは少女の方を向いた。視線がぶつかり、混じり合う。
「貴方は――」
「あなたは……信用してもいい人なの?」
 それはやはり、あの少女の声である。
 問いたくなる気持ちは解らないでもなかった。緊急事態を察知したとは言え、所詮、彼はフィールドへの乱入者に過ぎない。例え試合が終了した後だったとしてもだ。
「そう、ですね……」
 彼は、自らを善者であると肯定する言葉は持ち合わせていない。
 真っ直ぐに少女の目を見据え、彼は言った。
「それは貴方が決める事だと思います。私が幾ら私自身を推薦しても、それには何の効力もございませんから」 少女は何も言わなかった。
 ミデンもまた、人二人分程度の距離を置き、少女と同じソファへと腰掛けた。
「そもそも、善意の行為であっても、全てが上手く転がる訳でもありませんし」
「……けど、一番あいつを救える可能性が高いのは、あなただと思った」
 少女が、ミデンの方へと振り向いた。彼女が被るのは「公爵」の名を持つ青の羽根飾りがついた鉄兜。故に、目の表情は伺えない。
 だが、確かに真っ直ぐな眼差しで見つめられていると、彼は感じた。
「救護のプリーストが診断できなかったぐらいだもの」
「私だってプリーストではありますが、医師ではないのです。偶々似たような症例を知っていただけで――」
「私、パッシブスキルのアクティブ発動って初めて見たの!」
 ぐいっと少女は体をのめらせ、覗き込むような形でミデンの顔を直視した。
 彼の右の手を握りしめ、少女は嘆願する。
「悔しいけど……それぐらいの術者じゃないと、きっとあいつは救えない。だからお願い、力を貸して!」
 手を出してしまった以上、放りっぱなしはならないし、それが己の信念だ。
「……私に一体どこまで出来るか解りませんが、出来る限りの事はさせて頂きましょう」
 医師に伝えたのと同じ言葉を、ミデンは彼女に告げた。
 少女の顔が、輝いた。顔半分しか見えてなくとも解る程に。
「ありがとう!」
「いえいえ、乗りかかった船でございますから」
 ようやく解放された右手の指で、ミデンは弦を一本弾く。
「ミデン、と申します。貴方は?」
「フラールよ」
「フラールさん……もしや、出身はオルビス近辺ですか?」
 ――ああ、違う、記憶違いだ。
 問い掛けた後で気づき、小さく首を振るも時既に遅く。
「ううん、出身はヘネシスだけど」
「いえ、私の記憶違いだった様です。お名前をお聞きした時、それが「花」という意味の妖精の言葉だと勘違いしまして」
 妖精の言葉で「花」を「フルール」と言う。本名でも通名でも、オルビス出身者や妖精族に好まれる名だ。だが、「フラール」という言葉が何の言語でどういう意味か、喉まで出かかってもはっきりしない。
「ふーん。まあ、そんな洒落た名前は私には似合わないと思うけど」
「そんな事は無いと思うのですがね」
 妖精族の言葉と言えば、確かに弱々しい小さな花々を連想するかもしれない。しかし、例えば凛とした薔薇の様な……。
 ミデンのそのような考えなど知る由もなく、フラールは苦笑した。
「グロー以外じゃ、そんな事を言ってくれるのはあなたぐらいだ」
 やはり、ただのギルド仲間という訳ではないらしい。
「グローさんとは、特に仲がいいんで?」
「そうねえ、あいつとはマーメルスに入る前からの付き合いだから。加入前からの仲間は、もうあいつだけだよ」
 その横顔、口元は、たまらなく寂しそうな形をしていた。





 深夜の医務室。
 月の光が落ちる窓際で、尚もグローは眠り続けていた。
 「失礼します」と小声で呟き、右手でカーテンを避けるはミデンであった。
 安らかな寝顔、とは断じて言えない。かといって露骨に苦しそうな訳でもない。確かに青ざめてはいたが、その表情は無表情に等しかった。
 傍らの丸椅子に座るも、ミデンは迷っていた。結局、此処へ来る迄に、魔力が増幅した原因は掴めなかったからである。
 しかし、時間が惜しい。栄養こそ点滴で補給しているが、あまり長引けば何かしらの後遺症が残りかねない。
 竪琴を出窓へそっと置き、椅子をグローの顔近くまで引き摺る。椅子に座ったミデンは膝にカルテとペンを置き、グローの胸元に右手を置いた。
 僅かに感じる、闇のマナ。
「我、彼の者のマナを負う器と成ろう……闇のエネルギーよ、対話の時間を我らに与え給え……願わくば、目的を達するまで持続することを……」
 ミデンのスキルは持続力に欠ける。少しでもそれが上がる様、「箔」の付け方に細心の注意を払って、ミデンは詠唱した。
「――アクティブ・マジックドレイン」
 昼間に行った応急処置よりも緩やかに、魔力を吸い上げる感覚を掌に感じる。
 少し後の事だ。
「う、ん……」
 グローが、僅かに唸った。
「……ど、こだ……ここは……」
 うっすらと眼を開け、彼は体を起こそうとする。
 だが、ミデンは左手でそれを抑止した。
「ここは、マーメルスの医務室です」
「……アンタは、誰だ? いや、見覚えがある……か?」
 やはり、失神までの記憶はあるものの混濁しているらしい。
 刺激しないよう注意を払いつつ、ミデンは自己紹介をした。
「私、プリーストのミデンと申します。放浪の身ではありますが、貴方に応急処置を施させて頂きました」
 あえてプリーストと名乗ることで、医師であると思わせ安心させる。多少の知識はあるとは言え、遠回しな嘘ではある。
「医者、なのか……?」
「……ええ。マーメルスの医師より、貴方の治療への協力を求められております」
 結局は、直接的な嘘を吐く事になったが。
 気付いたように、グローははっと目を見開く。
「治療……そうだ! なあ、一体俺に何が起きたんだ!」
 勢いに任せて再び起きあがろうとする彼を、改めてミデンは制止して、そして問い掛けた。
「そうですね……どこまで、覚えていますか?」
「あぁ? えっと、そうだな……対戦が終わって、急に息苦しくなって……そう言えば、ちらっとアンタの顔も見えた。ような……?」
 十分ですね、とミデンは小さく呟く。やはり、ドレインを発動させるまで、ある程度意識が残っていたらしい。
「な、なあ――」
 少し怯えたような表情を見せるグローに、ミデンは誰かにいつも語りかけるのと同じ口調で、同時に、医師の真似事のように言った。
「大丈夫ですよ。症状自体は珍しくありませんし。しかし……」
 ちらり、と彼の胸元に置いた右手を見遣る。
「やはり少し、病状を説明しなければならないでしょうか」
「頼むよ」
「簡単に説明致しますと、魔力過多と言う風な感じでしょうか。魔法使いの方に多い、「属性中毒」と呼ばれる症状です」
「属性? アサシンに属性なんて――」
「あまり知られていない様ですが、盗賊の力自体が僅かながら闇属性を帯びているという説があるのですよ。おそらくそれでしょう」
「へえ、知らなかったよ。流石医者だな」
 医者、という言葉がちくりと胸を刺すが、口調を崩さぬ様注意を払いつつミデンは説明を続ける。
「今の貴方はその闇属性のマナが増幅されすぎている状態です。今はドレインをアクティブで発動させて、私の右手からマナを吸収する形で緩和していますが……」
「止めると、どうなるんだ……?」
 答えるのは心苦しいが、今は嘘を言うべきではないだろう。
「命に別状はありませんが、再び眠ってしまうものかと思われます」
「何だよそれ……治す方法は無いのかっ? 体が鈍っちまう!」
 ――彼の負のマナが増幅されるのが感じ取れた。
「落ち着いてください、その原因を探るために私は来たのです。魔力の増幅の原因か、それとは別に最近気になることなど……何か、心当たりはござませんか?」
「そんなもん……」
 いや、と一瞬彼は止まった。
「……そう言えば、最近立ちくらみや眩暈が増えた気がするなあ……。疲れてただけだと思うけどさ」
「成る程……」
 関連は十分考えられる。仮に関係あるならば、つまり、原因は慢性的なもの。一瞬にして増幅された訳ではなく、あの瞬間に限界を超えただけ。
 カルテの上でペンを走らせながら、ミデンは更に問う。
「他には何かございますか?」
「いや。最近は修練と試合に明け暮れていたからな」
 アサシンのスキルを使用することもまた、無関係とは言い切れない。念の為、それもそれを書き加えた。
 右手のマナを吸い上げる感覚が鈍くなってきた。早い内に切り上げた方がいいかもしれない。
「……では、本日の問診はここまでです。明日また来ますので、それまでゆっくりとお眠り下さい」
「えっ、もうかよ!」
「ドレイン特化という訳ではないもので。ドレイン自体、本来は攻撃魔法に付加するパッシブスキルですから、アクティブ使用するだけでも大変なのですよ」
「そういう、もんなのか……?」
「そういうものですよ」
 大丈夫、とミデンは微笑んだ。
「明日までにマーメルスの医師とも話し合っておきますので、明日はもっと建設的なお話が出来るでしょう」





 ミデンの予想に反し、二日、三日……一週間が過ぎても、具体的な原因は判明しなかった。
 問診時間の制限が多いのが何よりも痛い。あまり繰り返すとグローの負担になるからだ。
 原因の可能性としては大まかには絞れては来たのだが。
「闇属性、中毒症状……慢性的な、疲れにも似た症状……」
 治療の助けにとあてがわれた一室で、ミデンはカルテの写しを眺めていた。
 必ずという訳ではないのだが、属性は性質・性格にも多少の影響を及ぼす。盗賊に大人しい者が多かったり、戦士に意志の強い者が多いのも、イメージからの転職という問題ではなくその為である。
 闇属性には、負の感情によって増幅されるという性質があるらしい。何らかのストレッサーが過度に働いているというのがミデンと医師の睨むところであるが、その原因を突き止めるには至らなかった。
 正直なところ、これは彼の手にあまる。予測が当たっているならば、治療には長期のカウンセリングを要するからだ。
「いかが致しましょうかね……」
 溜息を吐いたところで、ドアのノック音が聞こえた。
「……はい、どなたでしょう」
 問い掛けてはみるものの、相手の予想はついている。
 扉の前へと歩み、解錠したミデンが対面したのは、やはりその人であった。
「グローの調子はどうなの?」
 そう、フラールだ。
 問診内容は守秘義務に関わる。故に深くは語れないが、それでも彼女はミデンがマーメルス内に宿泊するようになってから、毎日この部屋へと足を運んでいた。気持ちは解る、ミデンが彼女の立場なら、やはり彼も少しでも情報が欲しくて治療者の元へ足を運ぶだろう。
 試合が終わってすぐなのだろうか、今日の彼女は鎧を着込んでいた。
「昨日からの進展は無し、でしょうか」
 読めやしないだろうが、それでもカルテを伏せて、ミデンはフラールを招き入れた。
「まだなの……?」
「そうですねえ……」
 仲間であるらしい彼女の協力を仰ぐか……いや、まだ問診で彼女の名を出していない。協力を仰ぐならば、その後だ。
 ベッドに腰掛けるミデンと、椅子に座るフラール。
「そう言えば、前々からお聞きしたかったのですが」
「何?」
「グローさんとの交友は長いのですか?」
「そうね、もう四年になるのかな」
「それは随分と」
 グローもフラールも、少なくとも外見は十代半ば。その歳の人間族にとって、四年という歳月は非常に大きいだろう。
「元々は五人で旅していたの。でも、一年近く前……それをグローが急に抜けるって言い出して、それで二人で抜けたって訳」
「ふむ」
 友情か、恋愛感情か……そこにあるのが果たしてどちらなのか、その辺りの事情に疎いミデンには判断が出来ない。
「……ねえ、あなた。グローと話しているんでしょ? 一度私にも話をさせてよ」
 思わず、彼は唸った。しかし、直ぐに言葉を返す。
「まだ、難しいです。しかし実現できるよう努力致しましょう」
 何にせよ、二人の関係をグローにも聞いてからだ。酷な話だが、彼女が関与することで、好転することも悪化する事も考えられるのだから。





 フラールの名を出した直後だ。
 彼のマナが増加し、グローは激しく咳き込んだ。
「大丈夫ですかっ?」
 ――ビンゴだ。
 あの日、フィールドでやったのと同じように抱きしめ、早口に詠唱をする。
 肩を上下に揺らし、息は途切れ途切れ。しかしグローは落ち着きを取り戻し、呆然と呟いた。
「な、何だ……急に……」
 彼から体を離し、しかし右手を胸に置き直して、ミデンは問うた。
「宜しければ、彼女と貴方の事……お聞きしても宜しいでしょうか」
「あ、ああ……」
 どうやら無意識、無自覚らしい。急に名を出され、「何か」が不意に呼び起こされたという事だろうか。
「けど、何でアンタがその名を?」
「随分貴方の事を心配しておられる様で、何度も私を訪ねてこられました」
「そうか……」
 まるで決心をするかのように、グローは深呼吸をした。止めるべきなのかも知れないが、折角掴めた糸口だ。それに、彼自身が話してくれる気になっている。
「俺がこのギルドに入る前からの付き合いでな、一番古い友人だよ」
「無理はなさらないでください」
 マナの揺らぎが見えて、慌ててミデンは言い添えるが、グローは首を横に振る。
「いや、いいんだ。どうせ誰かに吐きたかったんだ」
 つまり、ずっと溜め込んでいたと言うことか。
「……ああ、一番古い友人だ。だからこそ、ずっとコンプレックスを抱いていたのかも知れない」
「コンプレックス?」
「アイツの強さに対して、だよ」
 その表情は、とても暗い。
「ここに来る前は五人で旅していたんだが、俺は一人足手まといだったんだよ。それが悔しくてたまらなくて、俺は仲間から離れようとした……だが、あいつはついてきた」
 部分部分、フラールの説明と一致する。
「複雑だったけど、それよりも嬉しかった。そう、嬉しかった筈なんだがな……幾ら修練を積んでも追いつけない、周りの同期との差もどんどん広がっていく。結局、逃げ込んだ先でも状況は変わらなかったんだよな……挙げ句の果てにこの病気だ。……なあ、アンタ、この病気は本当に治んのか?」
「ええ、昨日の問診以降、幾つか解った事がありますので」
 ――やっと、やっとだ、原因を突き止めた!
「本当かっ?!」
「ただ、ギルドの医師との相談が済んでおりません。明日こそは、多少進展するでしょう。今日の問診はここまでにしましょう」





「ルサンチマン……行きすぎた嫉妬心ですね」
「よく、一週間で掴めましたね」
 医師の手には元のカルテ、ミデンの手にはカルテの写し。カルテにはびっしりとこの一週間の問診内容が記されている。
「彼の場合、それが向上心に繋がっていた様なのですが、それが逆にいけなかった様です」
「と、言うと?」
「いくら修練を積んでも自分の望むレベルにならない、と思いこんでいる模様で……悪循環を繰り返す内に精神が耐えきれなくなった模様です」
「ふむ……確かにエースという訳ではないが……彼の対戦成績、そこまで酷い訳では無いみたいですけどねえ」
 カルテにはギルド側の作成した構成員情報の用紙が挟まれていた。確かに表だって目立つ活躍こそはないが、縁の下の力持ちとしてサポートとしては活躍している様だ。その証拠に、パーティ構成に関わらず勝率は悪くない。
「ギルドの皆様にお聞きしたところによれば、友人であるフラールさんはエース級の活躍を見せている様ですからね。近しい者と比べてしまうのは、仕方ないのかもしれません」
「……しかし、そうであれば、二人を対面させるのは避けるべきかもしれない」
「ええ、私もそう思います」
 やはり、治療は長引くらしい。
 現状、ミデンがいないとグローは意識を取り戻せない。
「やはり、私は長期滞在という形を取った方がよさそうですね」
 物事の途中下車は、好きではない。
「可能ならば、私はそれをお願いしたい」
 ――不意に、樹木がみたいと思った。
 ルダスレークは人工物やそれに順するもので構成されている。故に、植物は殆ど無い。
 窓の外を見遣ってみても、やはりそれは同じだった。
「来る度に思うのですが、ルディにももう少し樹木でもあれば……少しは、心が安らぐかもしれませんね」
「幹部に提案しておきましょう」
 戦いに明け暮れる者達だからこそ。
 ……あの瑞々しい緑を見ることが出来るのは、果たしてどれだけ先の事か――。



前書・目次 // Superbia / Invidia / Ira / Acedia / Avaritia / Gula / Luxuria // 後書


2010.11.3up


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