Superbia  − 傲慢 / 1つ目の物語 −

 淡い赤の髪を風に揺らしながら、彼の者は悠然と歩んでいた。
 男性とも女性とも取れる、中性的な出で立ち。黒の左瞳に、黒の外套。右の眼は髪に覆われ、その色を伺うことは出来ない。
 口元から紡がれる旋律、両の手に抱かれた金の竪琴――その者の身分は想像に難くないだろう。口伝する者、吟遊詩人である。
 まるで街中を歩くように軽やかな彼であるが、ここはモンスター巣くうスリーピーウッドである。事実として、幾多ものモンスターが物陰から顔を覗かせていた。だが、それだけである。彼――便宜上、そう呼ぶ事とする――に襲いかかろうとする者は一匹とていない。むしろ、その歌声に浸ろうとしているような、そして彼を受け入れようとするかのような、ある種の心地よい静けさが其所にはあった。
 彼もまた、それに甘んじる様に、柔らかに微笑んでいる。
 その空気を打ち破ったのは、モンスター達ではなかった。
 いち早く気付いたのは吟遊詩人であった。ほんの僅か、彼の眉がぴくりと動く。だが、それ以上は表情を崩さず、彼は小声で唄い続けた。モンスター達が怯えるように散り散りになったのは、それから少し後である。
 モンスター達の気配が遠のいた後。
 彼の背に向かって、光の矢が飛来した。魔力を放つその矢は恐らく、弓使いのそれではなくプリーストのスキル――ホーリーアローであろう。
 だからこそ、詩人は紡ぎ続けた。
 そして、その矢が彼の背に刺さらんというその瞬間。
 光の矢はその先端から砕ける様に形を失い、そして霧散していった。
 ――それは、ガードとマジックガードを練り上げて作られた中和魔法であった。つまり、彼の職業はプリーストである。
 ようやく、吟遊詩人は足を止めた。
「何か、御用でしょうか?」
 先程のホーリーアローは、その完成度、威力から見るに、手練れの術者によって放たれたものであろう。だが、それは恐らく「小手調べ」といった意味合いが強い。
 振り返った彼に向かって次に放たれたのは、炎の矢――これも同じく魔法使いのスキル、ファイアーアローであった。この矢には、恐らく明確な敵意が込められている――半ば本能的に彼は感じたが、しかし、その矢の完成度はホーリーアローよりも遙かに劣った。彼は反射的に左腕で顔を被ったが、先程の合成魔法の余力で、炎の矢もまたマナへと還った。しかし、「熱い」という感覚は腕へと残る。彼の魔法には、持続性が欠如していた。
 吟遊詩人も流石に眉を潜め、溜息をついた。
「……成る程、どうやら噂通りの様ね」
「どなたでしょうかっ?」
 唐突に聞こえた、ソプラノの声。樹々に覆われた空間を裂く様な、その澄んだ声の先を、吟遊詩人は目で追った。
 樹の枝の上にいたのは、二人の女であった。
 両サイドを僅かに結われた緑の髪に、薄桃のドレス。羽扇を持つ女性が一人。
 セミロングの茶髪に、白シャツと赤ジャケット姿の少女が一人。
 そして何より……二人の背には、翼があった。それが意味するものは、明確である。
「妖精族の方々が、私に何かご用でも……?」
 女の背には白く大きな翼、少女の背には桜色の小さな翼――何れも、彼らが妖精族、それもオルビスの家系である事を示すものであった。
 人型種族――「人」の中で、最もプライドが高いと言われるのが妖精族である。他種族を見下す傾向にある彼らは、他種族間のトラブルをよく起こすと言われている。
 厄介な相手に、目を付けられてしまった。
「そうね……」
 女は少女を腰へと抱きつかせ、純白の翼を羽ばたかせた。少女の方には、飛行能力が備わっていないのかも知れない。最も、「少女」と言っても、成長の遅い妖精族であるからには、それなりの歳であると考えられるが。
 着地し、少女が離れたのを見計らって、女は言った。
「多彩な合成魔法……私のホーリーアローを防ぎ、且つただの「余波」でこの子の魔法をも解除してしまう程の力……そして、施術に必要な詠唱――」
 ――大丈夫、マジックガードは発動出来ている。
 女の言わんとしている事が想像出来るだけに、吟遊詩人の体に悪寒が走った。
 少女の方はと言うと、敵意を剥き出しに彼を睨み付けていた。どこか淡泊な印象を受ける女性とは対照的に、こちらは今にも飛びかかってきそうな様子である。
 扇を突きつけ、女は断言した。
「私の名はシャリテ・ラ・カトル。……かつて存在した禁術研究ギルド「ヘクセ」、被検体ナンバーNone、ミデン。妖精ギルド「イデアロクス」の名に於いて、貴方を処分します」
 彼の顔が引きつるのと、右の掌を地へと着けたのは、ほぼ同時であった。





 ミデンという人物は、人の姿をしておきながら、決して人ではなかった。
 外見上は、確かに人間族の若人であった。プリーストという職に関しても、正式に認可を受けている。
 彼の故郷は、リプレ地方のミナル森であった。ミナル森と言っても、獣人族の住まう様な開けた場所ではない。もっと深い場所である。
 ミナル森の一角に、ゴーレムと共生する特殊な生態を持ったドラゴンが生息していた。ノーブルドランドラゴンと呼ばれるそれは、相当の手練れでない限り相手の出来ない代物であった。
 そのドラゴンこそが、ミデンの正体である。
 だが、ノーブルドランドラゴンに変化能力はない。彼が人の姿を取っている、取らざるを得ないのは、一重に禁術が原因であった。
 ミデンは、変化の禁術の実験体であった。





 「イデアロクス」という名に聞き覚えはあった。と言うよりも、これだけ長い間――例えば、生まれた人間族の赤子が老いる程の時間――旅を続けて初耳、という方がおかしい。それほど有名なギルドであった。
 だが、その評判は決していい訳ではない。
 禁術に手を出している訳でも、犯罪行為に手を染めている訳でもなく。イデアロクスが有名なのは、あまりに妖精本意、過激派であるが故だ。
 その歴史は数あるギルドの中でも特に長く、構成員の全てが妖精族であるという。時と共に排他意識は煮詰められ、より強靱なものと化していると聞く。
 だから、その名を耳にしたその瞬間、思わず彼はテレポートを使用してしまったのだ。テレポートはあまり得意ではない、悪手だったと、次の瞬間に彼は後悔した。
 だが、後悔しても始まらない。
 一度大きく息を吐いて、彼は言葉を紡いだ。
「我が身に渦巻く負のマナよ……その属性を反転し、我を護る矢と成り給え……」
 小手調べには、小手調べを返そうか。
 弓を絞るような動作を見せるミデン。放つ魔法がホーリーアローである事は一目瞭然だろう。
 だが、彼の周囲には、更に六本の矢が宙に浮く。
 テレポートで追ってきた二人を視認するや否や。ミデンはその右手を離した。
 一本の矢と、その周囲を囲う六本の矢。光の筋が、二人の妖精に向かって直進していった。
 ――恐らく、ダメージはさほど入らないであろう。同じ魔法使い、それも魔力の所有量の多い妖精族である。受け止められるか、跳ね返されるか。
 だが、結果は予想を裏切った。
「なっ……!」
 シャリテは少女を庇うような形で、彼女の前へと位置を変えた。それはまだ理解できる。
 だが、彼女に飛来した筈の光の矢……それは、まるで彼女の体へと吸い込まれる様に消え失せてしまったのだ。
 一瞬感じ取れた魔力反応、あれはマジックガードでも、ブレスやガードでもない。そもそも、それらのスキルでは、軽減することは出来ど無力化する事など出来ない筈。
 まさか、と言葉が漏れた。
「バグレジっ……?」
「ご名答」
 汎用魔法使い職のスキルには、「エレメント・レジスタンス」というスキルがあった。本来であれば、特定の属性からの攻撃を軽減する様構築されたスキルである。
 しかし、そのスキルには欠陥があった。「軽減」ではなく「無力化」してしまうのだ。効果の凶悪化に伴い、その負担も並の者には耐えられないスキルと化していた。
 意図されぬ効力と負担を背負う、パッシブスキル「エレメント・バグ・レジスタンス」……だが、素質のある妖精族であれば、発動可能かもしれない。
 答えるシャリテは何処か嬉しそうだった。だが、その笑みは冷たい。
 プリーストの「エレメント・レジスタンス」の効力範囲は、属性魔法全て。つまり、ミデンの扱う聖属性も彼女には効かない。
 実は言うと、ミデン自身もバグレジを使用出来ない訳ではなかった。元々が竜族である以上、妖精族かそれ以上の魔力は有しているのだ。だが、エレメント・レジスタンスに限らず、彼には一つの制約があった。
 負の方向を向いたミデンの魔力は、本来聖魔のスキルには合わない。故に、聖属性のスキルを使用する場合は、他の魔法使いには不要な「詠唱」が必要なのだ。詠唱によりマナの属性を変化させ、そこで初めて聖属性のスキルが使用できる。持続性の欠如もこれに起因していた。
 擬似的且つ一時的にバグレジを再現することは確かに可能であったが、「汎用プリースト」の「エレメント・レジスタンス」は聖属性であった。
「さあ、二対一、貴方の属性スキルは私達には効かない」
「大人しく断罪されよ、と貴方はおっしゃられるのですか?」
「その通りよ!」
 答えたのはシャリテではなく、少女であった。少女の眼は、大方イデアロクスのイメージを体現していた。他者に対する、排除の瞳。
 シャリテと少女を、ミデンは交互に見遣った。
 攻撃手段が限られる以上、守りを優先するのが得策であろう。
 まずいな、とは思ったが、絶体絶命、と迄は思っていなかった。何十年も旅していれば、この様な緊迫した状況は格段珍しいことではない。とは言え、簡単に切り抜けられるとも思ってはいなかった。
 願うのは、ギルドの名を出した事は半分ハッタリで、独断で彼女たちが動いているという事だ。完全にハッタリというのは、両者の背に生えたそれを見るに、限りなく零に近い。
 ……望んで禁術を抱えたんじゃない、と泣いたあの日は、セピアを通り越して霧散しそうな古い記憶だ。
「……!」
 僅かに、魔力の波動を感じた。
 瞬発的にテレポートで距離を取り、ミデンは唱えた。
「我に仇成す縛りの呪術よ、式を投げ捨て――」
 急に体へ重圧がかかる。まるで、肢体に鉛を付けられた様に。
 だが、彼はあくまで冷静であった。
「――マナへと還れ、ディスペル!」
 パリン、とスキルの砕ける音がした。
 機動性を削ぐウィザードのスキル、スローである。
 危ないところだった、と思うのと同時に、効力を「スキルの解除」にのみ向けたことに彼は後悔した。ディスペル自体には、他者のスキル使用を制限する効力もある。反射的な解除だったとは言え、思っていたよりも冷静さが足りなかったのかも知れない。そして、効力を正確に指定しなければならない事もまた「人」でない事の弊害であった。
 スキル解除の音、それが開戦の合図であった。





 白と赤、二本の矢がミデンを襲う。
 それを、ミデンは下層にテレポートする事で回避した。スリーピーウッドもまたエリニアと同じく、幾つもの層によって成り立つ地域、それ故の手段である。
 ――いつまでも、こうしている訳にもいくまい。
 ミデンとしては、出来る限り相手側に危害を加えたくはなかった。しかし、状況がそれを許さない。仮にこの場から逃げられたとしても、彼らは何処までも追ってくるだろう。
 だが、一つだけ状況を打開する方法を彼は見つけていた。
 一瞬の隙にマジックガードを上掛けて、大きく息を吐いた。
「……ハッ!」
 振り向いた先にいたのはシャリテ。その背後に在るのは、白き女神の像――シャイニングレイの像だ。
「黒の力よ全ての色より――」
「遅い!」
 ミデンのバグレジを発動させるよりも早く、シャリテのシャイニングレイが発動した。
 マジックガードが発動しているとは言え、ダメージは痛い。
 弾かれるように飛ばされた彼であったが、何とか倒れる事無く体勢を留める。彼の足元の土が、僅かに抉れた。
「くっ……マナよ、束縛より護るオーラと成り給え!」
 短い詠唱に対しての魔力反応は、僅かな白い光だけ。
 シャリテの背後に既にレイの像はなく、代わりに淡金色の六翼が在った。
 だが、ディスペルの発動は一瞬遅かった。
「ブレスとバグレジを複合させてみましたが、上手くいった様ですね」
 チリリッと焦げるような音と、先程と同じ白い魔力反応。それ以上の効力をミデンには与えず、六翼は彼女の背から姿を消した。
「……やっかいな相手ね」
「それは此方の台詞ですよ」
 もう一人の少女の姿が見えないのが不安ではある、だが。
「何故、貴方は私を追うのでしょうか」
「は?」
 シャリテの表情が、訝しげな表情へと変化する。
「宣言したでしょう? 禁術、そしてモンスターの処分。貴方の素体がノーブルドランだという事も割れているのよ」
「例え竜族だとしても、私はチート使いでも無く、正規のプリーストとして認可を受けている。それでも、とおっしゃられるのですか?」
「「正規」の職なんて、手順を踏めば誰でも就けるわ」
「ごもっともです。しかし、貴方は……」
 口元が強張るのが自分で解った。きっと今の己は、とても苦い顔をしている。
 それでも、問うしかなかった。
「――貴方は、悪事を知らなかった詐欺師の子供や、人体実験の被害者……そういった方々まで処分すると言うのですか」
「な……!」
「貴方が為そうとしているのはそういう事です。それは……傲慢以外の何物でもないのでは」
「う、五月蠅い! 禁術の事がなくったって、貴方がモンスターである事に違いはないわ!」
 ベターな流れで会話が進んでいると、ミデンは手応えを感じていた。
「モンスター、ですか……。では――」
 言いかけたその時だ。
 放たれたファイアーアローに気づき避けたが、頬と髪がチリリと焦げた。
「何をしているの、シャリテ!」
 叫んだのは少女だった。いつの間にか背後に回られていたらしい。
「私達の使命は「危険因子の排除」、そうでしょっ」
「……妖精族の、ですか」
 少女の言葉に対しての、ミデンのたった一言。
 シャリテの表情が、確かに揺らいだ。
「そうよ!」
 少女は断言する。
 嗚呼、やはり思った通りだ。
「傲慢ですね」
「何を!」
「噂に聞いた通りだということです。イデアロクスは妖精本意過ぎると」
「私は――」
「それのどこがいけないって言うのっ?」
 シャリテの言葉を遮るように、少女は断言した。
「妖精族は、「人」の中のどの種族より優れてる! 妖精本意で何が悪いのっ?」
「フレシュ!」
 彼女の言ったそれは、少女の名であろうか。
 少女の言い分、それは妖精族にはありがちな考え方だ。
「……シャリテさんにお聞きしたいです」
 それは、「人」の中で旅する中で、ずっと心に引っかかっている疑問である。
「「人」と呼ばれる種族と、「モンスター」と呼ばれる種族の境界線、それは果たして何処だと思いますか」
「それは――」
 リプレの半獣族やルディブリアムの人形族は「人」の定義に含まれる。一方ウェアウルフやメロディなどは「モンスター」に含まれる。
 それは、とても不明確な定義であった。
「問い掛けた私にも、真の答えは解りません。しかし、少なくとも私は私を「人」ではなく、同時に「人に近い者」であると思っております」
「そんな訳ない! モンスターである時点で危険因子に違いない!」
 少女は言明し、再び炎の弓矢を形成する。
 感情に任せられたそれを回避するのは、とても容易かった。
「禁術の被検体が妖精族なら、貴方方はどうされるのでしょうね」
「そりゃあ、解術の方法を――」
「……貴方の言いたいことは解ったわ」
「シャリテっ!」
 シャリテの口調は、とても静穏であった。
「私に、貴方を「断罪」する資格は無いわ。少なくとも、迷いに苛まれている今は」
「何を言ってるのっ!」
 少女がテレポートを使い、一瞬でシャリテの側へと移動する。肩を揺さぶり、少女は諫言した。
「ギルドの方針に逆らう気なのっ? あいつは何としてでも排除しないと――」
「フレシュ、今日は引きましょ」
「どうしてっ?」
「静かに」
 対面した時の、あの有無を言わせぬ様な声で彼女は言った。
 そして、ミデンの方を向き直す。
 羽扇を突きつけ、彼女は宣言した。
「迷いが晴れても尚断罪が必要だと思ったら、もう一度貴方を見つけて処分するわ。覚悟しておきなさい」
 一呼吸置いて、シャリテは翼を大きく広げた。
「行くわよ、フレシュ」
「……分かったわ」
 少女の方はとても不満げである。だが、自分一人ではどうにもならないと悟ったのかも知れない。事実として、彼女の攻撃はミデンには殆どダメージにはなっていなかった。
 宙に浮いた上で足場の終点より飛び降りるシャリテと、それをテレポートで追う少女。
 安心してつい溜息をしてしまった彼は、小声でヒールを詠唱した。





 カトルという姓は、実は彼には聞き覚えがあった。というのも、カトル家はオルビスの妖精族の名家であるからだ。特に、ミデンのような好奇心ある冒険者にとっては、何かと聞く名である。
 だから、偶々入手した妖精族の新聞に「シャリテ・ラ・カトル」の名が踊るのを見た時も、彼は格段驚きはしなかった。
 それは、彼の予想した結末の、限りなくベストに近いベターな結果であったからだ。
 ――シャリテ・ラ・カトル、イデアロクスの重要機密書類の一部を処分、ギルドを脱走――。
 対峙した時のシャリテの眼は、少女のそれとは違っていた。あれは、盲信者の眼ではなかった。
 だから、あの時ミデンは対話に持ち込んだ。
 思うに、イデアロクスというギルドは閉鎖的で極度に偏った価値観しか無いギルドだと考えられる。僅かでも疑いを持つ者に違う価値観を投げかければ、揺らぐ可能性は非常に高かった。
 ……妖精族の数は少ない。加えて、あれほど立派な翼を持った者は、妖精族でも多くはない。身を隠すのか、それとも。
 生きていれば、いつかまた逢えるだろう。妖精族も、竜族も、寿命は長い。巡り会ったその時に、彼女がどの様な行動に移るのか。今の彼には予想は出来ない。
 遙かオルビスの方を見遣り、橙の空を背に、ミデンは小さく微笑んだ。



前書・目次 // Superbia / Invidia / Ira / Acedia / Avaritia / Gula / Luxuria // 後書


2010.11.3up


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