Luxuria  − 色欲 / 7つ目の物語 −

 ある夏の昼下がり、街へと足を踏み入れたその時、まだ空は青かった。
 ふらりふらりと路地を浪々、目的地に辿り着い頃には、黄昏へと流れ込む最中であった。
 人為的なものか、モンスターによるものか。そのビルは朽ちかけ、廃墟と呼ぶに相応しい。数度に及ぶモンスターによる大規模な攻撃と、不安定な治安による無法地帯化――この街には、そのビルと同じ様な建造物が数多く存在していた。
 だが、居住者のいない建築物につきものの、あの冷たい空気は其所には無かった。
 ミデンは相変わらず微笑みながら、かつて扉があったであろう入口へと足を踏み入れる。
 その刹那――金属が擦れ合う尖った音。
 彼の喉元に、左右から交差するように二本の刃が向けられた。何れも短刀、シーフ系列の盗賊が扱うものである。
 流石に少し驚いたが、彼は右の手を上げてこう告げた。
「「鼠」に会いに伺いました。「糸」が会いに来た……彼と、そしてマスターにそうお伝え下さい」
 彼の左右に立つ二人の少年は、何れも見慣れない顔である。新入りであろうか。最も、ミデンもそう頻繁に来る訳ではないのだが。
 少年達は互いに顔を見合わせ、背の低い少年が奥の階段を駆け上っていった。
 残された少年は無言を続ける。訓練されているのか、はたまた彼の性分なのか。
 しかし、ミデンとしては無言で待つよりも口を動かしたい。そこで、問い掛けた。
「貴方、お名前は?」
「……アルミュール」
「そう、アルミュールさんですか。素敵なお名前ですね」
 言葉が返ってきたことに安心して、更に彼から笑みが零れた。
 「彼ら」にとっての名前には、とても大きな意味がある。それを知っているからこそ、ミデンはその名を問うた。
 ――妖精族の古い言葉で、「鎧」。
 彼の腕は、とても逞しい。
 言語、意味……彼にその名を与えたのは、あの人物に違いない。
「お前は、何者だ」
 促され、自らがアルミュールに対して名乗っていなかった事を思い出す。
「これはこれは、失礼致しました」
 嗚呼、私は今、きっと苦い顔をしている。
「私は、吟遊詩人のミデンと申します。以後、お見知りおきを」
 「零」を示すその名を、彼に告げた。





 五階の階段で待ちかまえていたのは、「鼠」その人であった。
「久しぶり、ミデン」
 ノートを片手に、眼鏡姿の青年は微笑んだ。
「お久しぶりです、ウィズさん」
 青年は低い出窓へと腰掛けていた。西日が差し込み、逆光の彼は何処か暖かな印象を抱かせる。
 その出窓に、ミデンもまた腰掛けた。
「門番の方々は、今回も初見の方でしたね」
「仕方ないよ、ここは入れ替わりのスパンが短いから」
 そう返すウィズの顔に、影が差す。西日による物理的なものではなく、もっと、別の。
「ここは、そういう街だから」
 まるで、自身に言い聞かせるような物言い。
 意味も理由も、解らなくはない。
「でも……此処が貴方の特等席なのは、相変わらずなのですね」
「足が悪いのも相変わらずだからね」
 二人同時に、溜息が漏れた。
 ミデンはちらりと、窓の外を見遣る。
 ここから見るカニングの夕焼けは、町並みと相まり儚くも美しい。しかし、今は未だ昼だ。青空の下でのカニングは、ただの崩れる街に過ぎなかった。
 だが、ミデンは呟いた。
「カニングも、随分と復興が進みましたね」
「本当にそう思う?」
 ウィズも笑っている。笑っているが、どこか嘲笑的だ。
 己らの目前に広がるのは、廃墟と化したビル達。かつては秩序ある時間が流れていた事が伺えるが、今はアウトローや孤児達の巣窟と化している。それは、この建物にも言える事だが。
 しかし、ミデンは緩やかに右手で外を指し示して言った。
「ほら――息吹が感じられますから」
「言ってくれる」
「少なくとも「襲撃」からは復興してきている、私にはそう感じられます」
 ――魔法要素を排他した技術だけで言えば、この街はビクトリアで最も秀でているだろう。しかし、ここは度々モンスターの襲撃に襲われる。治安が安定するまでに無法者が地位を築き、やがて襲撃は繰り返され、秩序は崩壊する。ここは、極に至らない破壊と再生を繰り返す街なのだ。
「襲撃からの復興……果たしてそれが良いことなのか、僕には分からない」
 彼の顔に笑いはもう無い。
「そもそも、この街はどうかしてる」
「それは、外を知っているから言える事なのではないでしょうか」
「だとしても、僕は言いたい。犯罪行為は蔓延って、自治ギルドは自治ギルドで利益と評判だけを追求する――むしろ、モンスターの手で荒れた後の街の方がまだマシなぐらいかもしれない」
「しかし……」
 町並みから目を離し、ミデンはウィズの方を向いた。彼もミデンの方を向いたらしく、互いの視線が直線で交わる。
「そんな街だからこそ住める人々もいる。そうでしょう――野鳥の中の「フィンチ」さん」
「……そうですね。でも」
 再び遠くを見遣るウィズ、その彼の視線をミデンは追った。
 路地の影でボールと戯れる、二人の子供。
「……放っておいていいのですか?」
「大丈夫、ちゃんと近くに見張りもいるから」
 くいっと僅かに顎で示された先は、子供達の頭上。かつて窓ガラスがはめられていたであろう場所に、盗賊の衣装を着た長身の男が佇んでいた。言われなければ、気付かなかった。
「ここはプレイヤーキラーだって多い。子供達だけ外に出すなんて事は出来ないさ」
「確かにそうでしょうね」
「……僕らがただの「フィンチ」なら、この街の現状に憤りを感じたりはしなかっただろうね」
 どこか、遠いところを見つめる様な瞳。
「蓑を被っているからこそ、感じるものだって多いのさ」





 つまり、このギルドの「保護ギルド」という名目は、ただの隠れ蓑に過ぎない。
 とは言っても、それを知るのは初期メンバーなどの極限られた者だけだ。中身がない訳ではなく、しっかり孤児達の受け皿としての役目は果たしている。
 しかし、ミデンがここを定期的に訪れる理由は、その「真の目的」に起因している。
「「地下の王」はどうなってるんだい?」
「どうでしょう、あれから伺っておりませんから」
 かつて、地上の侵略を企てた魔王。彼もまた、「フィンチ」、「カナリア」の仲間である、だった筈だ。
「彼には彼の「立場」というものがある、それは解るのですがね……」
「果たして、それだけなのかどうか」
「と、言いますと?」
 発しかけた言葉を、ウィズは飲み込んだらしい。
「……いいや、気にしないでくれ」
「そう言われますと、尚更気になるじゃないですか」
「いや、ね」
 ウィズは微笑むが、それはどこか無表情を彷彿とさせた。
「話に聞く限り、どうも「立場」だけで動く奴には感じなくてさ」
「どうでしょうね……あの方はあの方で、変に頑固なところがありますから」
「……にしても、貴方は魔物には嫌悪を抱かないのですね」
「ああ。この街を襲うモンスターは奴らとは属するものが違う様だからな。それに――さっきも言っただろう」「モンスターの手で荒れた方がマシ――というのが、貴方の意見ですか」
「ああ」
 深く、ウィズは頷いた。
「ここの孤児ってのはね、真っ当な理由で親を亡くした子も多いけれど、明らかにそうとは思えないような子も多いんだよ」
 言わんとする事は、解らないでもない。
「そういう子は、再興が始まった頃から、増える」
 眉間にたまらなく深い皺を寄せて、彼は言い放った。
「……私には「性愛」もありませんからね。その辺りのメカニズムというのは深く理解することは出来ませんが」
 ――そう、彼からは「性」に関する事柄が抜け落ちていた。
 彼は確かに人の形を取っていたが、それも禁術で無理矢理作り替えられたもの。完全な姿にはなり得なかった。
 彼の性別は、即ち「無性」であった。
 だが、事実であるとはいえ、今の言葉は飽くまで枕言葉に過ぎない。
「しかし、これだけは言うことが出来ます」
 無言のウィズに、彼は言った。
「平和になるに超したことは無いでしょう」
「……そうだね」
 呟き、自嘲的な笑みを漏らすウィズ。
「何しろ、こんな街だ。君のようにちゃんと外を見ないと、そんな簡単な選択肢さえ出てこなくなる」
「まあ、口で言うだけでしたらとても簡単ですからね」
 きっと、自身の笑みもまた自嘲的な色をしているのだろう。
「けれど、心の何処かにその選択肢を残しておくだけでも、随分と違ってくると思いますよ」
「ふふっ、街の空気に感化されかけていたみたいだ。ミデンが来てくれると、そういう偏ったところから引っ張り戻してくれるから嬉しいよ」
「お役に立てているなら何よりですよ」
 ふと、彼は思い出した。
「名前……」
「ん?」
「アルミュールさんにお名前を送ったのは、貴方でしょう?」
「バレちゃったか」
「普通は妖精言語なんて、通名でも本名でもオルビスぐらいでしか使いませんから」
「彼の場合は通名だよ。本名は別にあるみたい、聞いたことはないけど」
 近年は、本名とは別に通り名を用意する者が多い。ウィズだってそうだ。
 本名よりも通名の方に愛着を持つ者も少なくない。
「本名が嫌いだと言っていたし、考えてくれと言われたから。妖精言語で「鎧」、戦士向きの名前かもしれないけど、でも良い名前でしょ?」
「ええ」
「彼は「護る勇気」に長けていると思った。技術はまだまだの様だけれど、このギルド、そしてゆくゆくは大切な人を護っていって欲しい……そう思ってね」
 つまり、何れは家族を持って欲しいという事。
 それが当然の考え方なのだと思うと、少し、ミデンは寂しくなった。





 やがては昼も下がり、夕も過ぎる。
 再生を繰り返す街。逆に言えば、崩壊をも繰り返す街。生命力が強いのか、強すぎるのか――。
 崩れかけた屋上で、ミデンは藍に染まった空と街並みを遠望していた。



前書・目次 // Superbia / Invidia / Ira / Acedia / Avaritia / Gula / Luxuria // 後書


2010.11.3up


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